『ファルネースの聖女』――第六章『エイナーの章』

小説top / ファルネースの聖女 / 表紙 / 1 / 2 /

第2話


「まま、まま!」
 なぜか、途中からリコさんのことを「まま」と呼び始めた女の子ですが、名前を聞くと、かろうじて名前は答えられたようで「クルソラ」という名前であると判明しました。
「ママだって。照れるー」
 なぜかニマニマと緩みっぱなしの表情のリコさん。
 僕はなぜクルソラがリコに懐いているのか、気づきました。さっきカレンさんにもらった赤いマナストーン。これが、クルソラの胸元についているのとそっくりなのです。クルソラの胸元についているのは最初はアクセサリーの類かと思いましたが、どうやら違うようで、直接、肌にめり込んでいるような感じがします。もしかしたら、ヒュマンの僕が知らないだけで、氏族の中にはそういう風習を持った一族がいるのかもしれません。
「しかし……どうしましょう。近場に見当たらないとなると、この子の親御さんはどこにいるのか……」
 眠そうな様子であくびをする幼女を見て、思わず口にすると、リコさんは握りこぶしを作ります。
「探せばいいんだよ!」
 そうか、探せばいいのか……すごくあっさり答えは見つかりましたけど、果たしてそれができるのか。できれば苦労しません。
 途方に暮れつつも、リコさんはやけにやる気まんまんだったので、仕方なく僕はリコさんについて行くことにしました。それに、この子供を放っておくのはあまりに可哀想な気がしたのです。おそらく、最終的にどうしても見つからなければ、ここの国の衛兵に引き渡すことになるのですが、ちょっとのつもりで散策しました。
 夜のアデルは遠目に、カジノの灯りが煌いています。逆に言えば、それ以外の、僕らの今いる街路の風景はとりたてて夜の特徴がないので、ともすれば迷いそうになります。
 何本もの小道を横切り、いつしか自然と僕たちはそこへ来ていました。アデルの夜の顔――カジノ街へと。

 二人は勝手に夜の街をわいわい騒ぎながら進んでいきます。途中、はしゃぎ疲れたのか動きを止めたクルソラをリコさんが「もう仕方ない子ねー」と抱っこして歩きます。
 なにやらクルソラに街のことを話して聞かせています。テンションあがりっぱなしで、子供の足がなくなった分、さっきよりもうろちょろするのに加速がかかって危ない感じです。
「なあ、お嬢さん。こんな時間にどこ行くんだ」
 ガタイの良い、酔っ払いにいきなり絡まれています。僕は慌てて間に入り、酔っ払いをなだめました。
「アン? 誰だ、お前は……」
「しつれいしましたー!」
 どすの利いた声と、その粗暴な顔立ちを見て、僕はすぐにリコを引っ張って走り出しました。
 酔っ払いは何やら叫んでいる様子でしたが、僕は足が速いのですぐに声は聞こえなくなりました。
 ほっと一息つく間もなく、またリコさんはクルソラを抱っこしたまま先々進み始めます。
「何これ、何これ!?」
「まんま、まんま!」
 リコさんとクルソラが興奮したように騒いでおり、僕らは完全に浮きまくっていました。正直かなり恥ずかしいので、僕は必死に二人をなだめました。
「ラスベガスだ、ここってラスベガスだ!」
 僕も知っている懐かしい故郷の世界の都市名をリコさんは叫んでいました。
 言われてみれば確かに。もしかしたら、ここにも異邦人であるヒュマンの技術が使われているのかもしれません。そういえば、近年、ノルダニア大陸の芸術の都ヴェリに、アメリカの自由の女神を模した女神像が建築されたと聞いています。こうやって、ヒュマンは今はもう帰らぬ故郷への想いを遺しているのでしょう。
 それが、このカジノかもしれない。
「あっかるいな、あかるいなー!」
 リコさんはクルソラを抱っこして、大はしゃぎしています。
 この電力はどこから来ているのか不思議ですが、おそらくはここの太陽光を利用して、マナのエネルギーを活性化させているのでしょう。自動的に魔法を唱え続けているような感じのものだと思いますが、そんなことをできる技術というのは、ちょっとこのファルネース上では見たことがありません。
 いつも行商の折にアデルに来るのですが、このカジノができたのはここ二年ほどの間です。どういう仕組みが取り入れられているのか気になります。
「あ、あれ……?」
 僕がカジノに見入っていると、女の子二人組は居なくなってしまっていました。
 慌てて周りを探し始めますが、誰もいません。
 カジノの中を考えましたが、ここに入るにはある程度、入場料を担保できなければ入れないのです。その路線はまず消えました。そうなれば、ふらふらとカジノの周りを歩いているのだと考えられました。
 僕はいったんこの場を離れて、カジノの周辺を探し始めました。
 この界隈は夜の顔を持っており、飲み屋や娼館なども軒を連ねています。あの二人だけで歩くのはさすがに危ない気がしました。
「おい」
 言っている側から――なにやら、女性が酔っ払いに絡まれているところに出くわしました。
「そこの姉ちゃん、そんな人探しなんかよりさ、ちょっと付き合えよ」
 さっきの酔っ払いです。ああ、面倒なことになりました。けれど、面倒なことに首を突っ込むのは、ウォンさんと旅を続けていくうちに慣れています。僕の足は自然とその二人の方へと向いていました。
 やめないか、と声をかけようとした時です。
 絡まれていた女性は肩にかけられていた手を易々と捻り、壁際まで思い切り投げました。大木ほどもあるガタイのいい男が軽々と飛んでいくのは、どこかしら滑稽ですらあります。
「貴様の相手をしている暇は無いのです。早く、今言った特徴の娘に見覚えがあるか教えなさい」
 男はぶつかった衝撃で骨折したのかもしれません。呻くだけで起き上がろうとしません。
 その男の胸倉を包み、右手の甲のあたりから光るブレードのようなものを出しました。今まで何もなかったところから生じた光の刃に驚きましたが、ウォンさんも暗器を使います。暗器とは普段見えないように仕込んでいるものなので、おそらくはその類でしょう。
「答えねば、殺します」
 女性はどこまでも冷たい声音で言いました。
 そして、ふと、その女性をどこかで見たことがあるような気がして、記憶の糸を辿ります。
「褐色の肌の、緑髪の見目麗しい女性。胸には赤いルビーのようなものをつけています。どうですか、心当たりは?」
 男はいよいよ身の危険を感じたのか呻きながら、周囲に目をやり、僕と目が合いました。
「じょ、女性って年齢じゃねぇが……そんな珍しい外見の幼女ならさっき見た」
「どこに行きましたか」
「わ、わからん……でも、その後ろの男がさっき一緒にいた」
 そうか、と目の前の女性は酔っ払いを地面に落しました。
 振り返り、すぐに僕にターゲットを絞ろうとして――お互いに目を見開きました。
「お前は……」
「あなたは……」
 僕の目の前に居た女性――それはアガレス帝国で、リコさんの親友のメグミさんを僕らに引き渡した二人組の片割れでした。

 *

 黒いラバースーツに身を包んだ彼女はレタルナと名乗りました。会ったのは二度目でしたが、名前を聞いたのは初めてです。
 身軽そうな金属の胸当てを直しつつ、腰のポーチの位置を調整しながら、僕に探し人の特徴を教えてくれました。確かに先刻まで一緒だった幼女の特徴と合致しています。年齢を除けばの話ですが。
「年齢は違うが、しゃべれる言葉は“まんま”だけで、名前はクルソラとそう言いましたね?」
「ええ、そのとおりです」
「なら、間違いないです」
「え、でも年齢が……」
「いいえ、間違いないです。問題はどのあたりに居るか……」
 僕はレタルナさんと、カジノの周りを歩きながら会話を続けました。僕はリコさんを探し、レタルナさんはクルソラを探す。自然と目的が合致しています。
「もうひとりの、男の人は今日はいないのですか?」
「マモル様は、今はここには居ません」
 どこにいるのか聞ける雰囲気ではありませんでした。
 僕たちはしばらく歩き続け、何の手がかりも無いまま足を止めました。
「戻ってきちゃいました。さっき、僕がクルソラと会った屋台です」
 指さした方向には先ほどの屋台があります。
 屋台の親父と目が合うと、軽く会釈してきました。
「ひとまず、あの屋台にでも入って情報収集です」
 レタルナさんは勝手にそう決めると、屋台の中へと向かってしまったので、僕は意図せず本日二度目の来店を果たすことになったのでした。
 砂漠の料理というのはなかなかにクセがあるものです。ここでは、砂漠に住む甲虫を揚げたものや、そうでないラックーダの肉を焼いたもの、砂漠では採れないような植物も並んでいました。ここは商業の中心であり、また、マナと機械の恩恵もあるので自家栽培を生業とする家も多いです。
「い、いらっしゃい」
 屋台のマスターと目が合う。どこか不自然な感じがします。それはどうやらレタルナさんも感づいたようで、周囲をきょろきょろと見回しながら声をかけます。
「さっきここで拾った子供がまたどこかに行ったそうなんですが、見ていないですか?」
「い、いや……私は何も」
「ちょっとでも見ていないですか?」
「え、ええ」
 頷く主人を睨みつけて、レタルナさんは深いため息を吐きました。そして、右手をぐっと突き出し――
「じゃあ、これは何です」
 それは、リコさんが持っていた赤い宝石と似た色をしていました。

 それでも、屋台の主人は何も知らないと言い張ります。
「先ほど、ここに落として行かれたのでしょう」
 でも、僕は覚えています。リコさんがそれを大事そうに持ちながら、街中を歩いていたことを。何せ、彼女はその宝石のせいでクルソラにママ扱いされたわけで、微妙に嬉しそうな様子でしたから、そもそもスタート地点であるこの屋台でそれを落としているはずがありません。
 僕がそのことを指摘しても、主人は怪訝な表情を見せるばかりで、「似たマナストーンでしょう」と言います。けれども、レタルナさんの持つ、この赤いマナストーンは中途半端に欠けていて、それは昼間にカレンさんが指摘して売り物にならないと言ったモノと全く同じに見えました。
 そして、何よりも。
 先ほど、第一声で尋ねたときの、主人の表情の微妙な変化は明らかに怪しかったです。僕がウォンさんと行商を続けていく中で得たものは、人の嘘を見抜く力。商いを続けていますと、贋物を掴まされることも多々あります。そういったときに必要とされるのは、本物を見抜く目で、これは商品を判別することも重要ですが、その持ち主の一挙一動を観察することも非常に重要とされます。
 主人はいかにも、嘘をついている目をしていました。僕の行商としての勘が、それを告げています。問題はそのことをどう証明するか。これはなかなか難しく、一筋縄では――
「真実を述べなさい。述べなければ、殺します」
 レタルナさんの右手から、光の刃が出ていました。主人が持っていた皿が綺麗に直線状に分かれています。どうやったのかわかりませんが、ヒビを入れることなく切断したようでした。
 不規則な異音が、ブオンブオンと響いています。レタルナさんの視線はあまりに冷たく、しばしばアンダーグラウンドギルドと呼ばれるような裏社会に生きる人間が見せる目によく似ていました。
 屋台の主人は、料理を用意する姿勢のまま、凍りついたように動きを止めています。
「もう一度、忠告します。殺します」
 セリフの間がすっ飛んでいました。もはや、忠告ですらありません。
 ウォンさんが相手ならば、僕はツッコミをしていたでしょうが、今それをやると僕まで殺されそうな気がしたのでやめておきました。
「わ、わかった。その変なブツをしまってくれ、話すから……」
「しまわないでも話せるでしょうに。言いなさい」
 主人は観念した様子で、話し始めました。
 その主人は、人身売買を行っている組織に雇われていました。アンダーグラウンドギルドの奴隷商が雇い主と言います。
「親玉は?」
「け、ケルトラウデの貴族だとしかわかりません」
 いくつ質問を重ねましたが、本当に知らないようでした。
 この状況下において嘘をつけるような訓練を受けているようには見えません。
「どこで売り捌くのですか」
「か、カジノの中に、選ばれた者だけが入ることのできるフロアがあります。ファルネース中のお金持ちが集まります。そこの景品となるのです」
 主人に対して、刃を引っ込めるレタルナさん。そして、何やら自分の腰につけたポーチに手を入れます。
 主人はほっとした様子を見せましたが、すぐにまた凍りつきます。
「案内しなさい」
 今度は、手に小さな銃を持っていました。マナガンと呼ばれる、マナストーンに凝縮されたマナの力を取り出し、相手に発射するという非常に希少なものです。ただ、僕の商品を見る目が確かであれば、マナガンと呼ばれるものはもっと無骨な造りで、外観も粗く、いまだ暴発の可能性の高い危険な武器という認識でしたが……レタルナさんの持っているものはそんなものとは比べようもないほど丁寧な造りをしていました。
 主人も裏社会に生きるものとして、マナガンがどういうものかは知っていたようで素直に頷き、屋台を後にします。レタルナさんは目立たないように影になるところにマナガンを突きつけ、僕はその二人の隣を歩きました。
 眠らない夜の街で、僕らに注意をとめる者は誰もいませんでした。

 露店で、何を思ったのかレタルナさんは、猫耳のオモチャを買いました。これをどうするつもりなのかと思っていると、おもむろにそれを自分の頭に装着し、呆れている僕の頭にも無理矢理に取り付けました。
「我々は今から、ファレッタ氏族です」
 それを聞いて、ぴんときました。
 ――ファレッタ。十七氏族がひとつであり、身体のどこかに動物の部位を有しているといいますが、なにぶん、少数民族であり、バオウバザーと呼ばれる移動するバザーを運営している為、大陸で滅多に出会うこともありません。そのため、ファルネースでは、「バオウバザーに遭遇すると幸福になれる」というジンクスまであるくらいで、それほどまでにファレッタ氏族は希少価値の高い一族なのでした。
 そうです。男でも女でも、それには高値がつくもの。それが裏カジノの景品となれば、世の愛好家たちはこぞってゲームに興じるでしょう。
 猫耳をつけた二人を売人が連れてきた――周囲の目にはそう映ることを考えてのことでしょう。レタルナさんはとても頭が切れる女性のようです。また、そういったインテリ系の人に多いのか、感情はほとんど表に出しません。猫耳をつけて街中を歩いても、特に何も思っていないようです。羞恥心が欠落しているのでしょうか。
 やがて、屋台の主人――いや、もう売人と呼ぶべきでしょう。その売人は、カジノの裏手の隠れた入口に僕たちを案内しました。そこには黒服の屈強な男達が立っています。なにやら、妙な仮面をつけており、その仮面を見たレタルナさんは怪訝そうに目を細めました。
「ここは、クオラの息がかかっている……?」
 クオラ、と口にしました。僕はその単語を知っています。
 ヒュマンやハーフなどの救済を主とする福祉組織です。ここバオウ大陸の隣に位置するミディリア大陸で活動をいているはずですが、その名前がなぜここバオウ大陸で出て来るのでしょう。
 影でレタルナさんに銃を突きつけられたまま、売人の男は顔パス状態で奥へ進んでいきます。誰にも怪しまれることなく、僕たちは難なく最奥へ到達しました。そこは、簡易の牢獄がくつか並んでおり、その中に、リコさんとクルソラの姿も認めました。眠っているようです。今はその方がいいと思いました。
「おう、バリー。新しい商品か? 商品のストックがゼロなもんだから、さっさと連れて来なくて、こちとら冷や冷やしてたんだぞ。お? 女はなかなか上玉だな、ええおい」
 奴隷商人と思しき男は、僕たちを値踏みした後、レタルナさんだけに意味有り気にいやらしい笑みを向けました。
「あ、ああ。ファレッタ氏族なん――」
 言い切る前に、喉元から赤い血しぶきを撒き散らし、男は倒れました。応対していた奴隷商人は一瞬何が起きたかわからず、唖然としたまま固まります。
 同時に、レタルナさんは僕に向けてマナガンを投げつけます。何もわからぬまま、僕はそれを受け取り――次の瞬間には、レタルナさんは動いていました。左手のナイフを捨てつつ走り、男が叫び声をあげる前に、左手でその口を塞ぎ、右手に例の光るブレードを出現させ、それで心臓と貫き――それでお終いでした。
「お、お見事です」
 ふん、と鼻を鳴らし、レタルナさんは牢に向かいます。
 僕はこのとき、リコさんが目を覚ましていることに気づきました。驚きと悲しみと混ざったような表情で僕たちを見ています。
「牢の中は、二人だけですか……」
 ストックゼロ、と男は言っていました。実際に、その通りだったのでしょう。
 人数が少ない方が脱出は楽ですが、そのことを喜んでいいものかどうか。商品として貰われて行った人たちのその後が心配です。
「なんで殺したの!」
 牢の鍵を探すのが面倒だったのか、ブレードで錠前を切断していたレタルナさんに向けて、リコさんが突然声を張り上げました。どうやら、薬の効果が切れて目が覚めた様子です。
「敵だから」
 意に介した様子もなく、レタルナさんは淡々と作業をこなします。
「だからって、いきなり殺していいわけないじゃない!」
「いいでしょう。別に、私が誰を殺そうが勝手です」
「だめでしょ!」
「殺したかったら殺す。それの何が悪いのです」
「殺すのはだめ、絶対にだめです」
「……」
 無視することに決めたのでしょう。レタルナさんは錠前をあけると、眠っているクルソラを起こしました。けれど、目を覚ましません。
「ねえ、聞いているの!」
 レタルナさんは、僕の方に向き直り、「マナガンの弾薬を出せ」と言いました。マナガン自体を触ったことが無かったのであたふたしていると、クルソラを胸に抱えたまま、レタルナさんは僕の方へとやって来ます。その後ろを、文句と罵声をぶつけながら、リコさんがついて来ます。
「貸してください」
 マナガンをひったくると、手に持つ部分の下の方を器用に開きます。なるほど、そうやるのですね。
 ウォンさんから聞いたことがあったのですが、マナガンというのはアースに伝わる銃器の技術を用いているそうなので、本来、ヒュマンである僕にもある程度はわかるはずなのですが、僕は幼い頃にファルネースにやって来たのでそのあたりの事情をよく知りません。幼い頃、映画でそういったシーンは観たことがあったような気がします。
「六弾、か……」
 マナガンの弾はマナストーンを砕いてできています。それを綺麗に球状に加工してあるようでした。
 ぐったりしたまま起きないクルソラに、そのマナストーンを近づけ――胸の赤い宝石へと押しつけました。すると、どうでしょう。溶け込むようにクルソラの胸の赤い宝石に吸い込まれていったのです。
「え、今のどうなったんですか?」
 思わず尋ねると、レタルナさんは僕の顔をじっと見つめます。そして、クルソラに目を落とします。僕もつられて一緒に視線を移し――呆気にとられました。こんなに驚いたこと、久しぶりです。
 そこに幼女の姿は無く、リコさんと同い年くらいの少女が横たわっていたのです。
「まだ、目が覚めない……相当、マナを消費したようです」
 レタルナさんはこのとき初めて感情らしい感情を見せました。
 今まで「氷」のように感情を表を出さない冷たい印象だったのに、今は狼狽しています。
 そして、背に腹は変えられないと思ったのでしょう。僕の顔を見つめ、言いました。
「あとで全てを話します……その代わりに、後生です。願いを聞いてください。このマナストーンを、売ってください」
 手にしたのは、先ほど屋台で拾った、欠けた赤いマナストーンでした。
 僕がリコさんにあげたものです。僕に所有権はない、と言うと、レタルナさんは今度はリコさんに頭を下げた。
「お願い。クルソラを助けるのに、どうしても必要なんです。お願いします」
 リコさんは、先ほどの殺生を咎めようという姿勢は崩しませんでしたが、あまりに低姿勢なレタルナさんの様子と、ぐったりしたまま動かない、自分と同い年くらいになったクルソラを見て、首を縦に振りました。
「それがないと、危ないんでしょ。あげる。だからはやく、その子を助けてあげて」
 リコさんは、こういうとき、場の空気と人の心を機敏に読み取って動きます。普段の空気の読めなさは一体どこにいってしまったのかと思わずにはいられません。
「ありがとう」
 短く礼を述べ、レタルナさんは赤いマナストーンを、クルソラの胸の石に近づけました。先ほどのマナガンの弾と同じように、マナストーンは吸い込まれていき――クルソラの身体がほんのり輝きを放ちました。そして、また少しだけ身体が成長したのです。その瞬間を目で見ましたがいまだ信じられません。一瞬のうちに成長したのです。
 今や大人の女性となったクルソラは、静かに目を開け、レタルナさんの顔を見ると嬉しそうにこう言いました。
「まんま!」

 *

 レタルナさんは、約束どおり、僕らにクルソラについて教えてくれました。
 クルソラは人間ではなく、どちらかというと幻獣に近い生き物だということでした。幻獣とは、種類にもよるのですが、マナに性質が近い生き物です。
「……けれど、クルソラの場合は限りなくマナに近いもので、マナが肉体を得たと言った方が早いくらいなのです」
 レタルナさんが説明を続ける間、クルソラは「まんままんま!」と言いながら、幼女のときと同じようにリコさんとはしゃいでいます。幻獣だから、人間の実年齢は当てはまらないようです。
「彼女の場合、言葉という概念が無いに等しいようで。いや、意志を伝える力というのか、意志を伝えようという気持ちか……それがないとのことです」
「どういうことですか?」
「外部に向けて、言いたいことや伝えたいことは発する。しかし、それを相手が受け取ってくれようがくれまいが、そのことに関しては別に気にとめていないといった感じらしいのです。よくはわかりませんが」
 わかったような、わからないような話でした。
 リコさんに至っては完全の話を聞く耳を持っていないくらいでした。
「そのあたり、マナ生命体である所以かと思いますが……今ひとつ、わからないのです」
「マナ生命体は……マナを消費するんですか?」
「そのようですね。人間が空腹を感じるのと同じような感じで、いずれ死に至る。よほど激しく消耗しない限り、自分で大気中のマナを取り込んで、特に何か摂取しなくてもいいはずなのですが……おそらく、脱出するときに力を多く消耗したのだろうと思います」
 クルソラは、僕たちとあの売人の扮する屋台屋に居たのです。即ち、あの時点で捉えられていたと仮定できます。
「私とクルソラは、昨日までアデルの砂漠の外れの住居にいた。しかし、どういうわけか連れ去られて……」
 言って、屍と化している男に目をやります。
「どうやら、タチの悪い人身売買組織に売りつけられたようだ。何はともあれ、無事に済んで良かった」
 ほっと、一息をはいて、礼を言われました。
 ひとまず外に出よう、とレタルナさんは声をかけます。そうでした。ここはまだ敵の真っ只中です。僕たちはドアのところへ赴き――、それが開かないことに気づきました。
「侵入者用のセキュリティ……クオラの技術ですね」
「クオラって……」
 リコさんが何か言おうとした瞬間、レタルナさんが飛び出しました。
「ちょ、な、何――」
 驚いたリコさんが、そのまま言葉を失います。
 その視線の先には、レタルナさんの姿がありました。リコさんを庇うように間に入っています。
「い、生きていたんですか」
 肩は盛り上がり、身体の筋肉組織が異様に発達し、爪がまるで刃物のように鋭く尖っているその姿であっても、その顔はまぎれもなく、先ほどまで足元に転がっていた奴隷商人の屍と同じ顔をしていました。
「やはり――」
 レタルナさんの声、でした。
 右手のブレードを出し、相手の腕を一直線に切断、さらに畳み掛けるかのごとく両足を横一直線に切断。相手が倒れた上に飛び乗り、悲鳴をあげ動けないようにその胸板を蹴りつけ、地面に固定します。一体、その細い身体のどこにそんな力があるというのでしょう。
「さすがは、“鋼鉄の女”だ……」
 忌々しそうに、地面に倒れた男は悪態をついています。
「私のことを知っていたのですか」
 男は僕とリコさんの顔を見て、「まあいいか」などと意味不明な発言をした後に、語り始めました。レタルナさんは、それを殺すでもなく、ただ眺めています。有用な情報を聞き出そうとしているのかもしれません。
「お前ほど有名なら、クオラの中でも知っている連中はいるだろうよ。俺みたいな小物は知られていなくて当然だけどな……ふっ、何でこんなことをしたかって顔してるな? クオラの裏の顔……レタルナよぉ、お前も知っているだろう? 人身売買だよ」
「……知っています」
「それを俺はやったまでに過ぎない。そうだろ?」
「クシュナ様の重要な資料とわかって、クルソラをさらったの? しかも、わざわざクオラの研究所から」
 男の血はもう固まり始めていました。両手両足の血は止まっているが、果たしてあれだけの出血で生きていられるうのでしょうか。そもそも、出血がこんなに早く止まること自体おかしいです。
「あいつのやり方についていけるかよ……俺だって、好きでこんな身体になったわけじゃねえぜ。お前もそうだろ、鋼鉄の女よ」
 レタルナさんの表情は揺るぎません。
「けどまあ、俺たちは元々は普通だった。あんたの場合は事故で死にかけて、それでそんな“機械”の身体にされちまった。俺の場合は、道を踏み外してこうなった。だが、そうじゃねえやつもいるんだよ」
 哀しげに微笑んで、男は笑いました。
「クオラに作り出された、命。こいつらは、“普通”を知らないままに生きて、そして死んでいく。お前の後ろにいる緑髪の女や、カウムース大陸に派遣された黒き魔王もどきなんかがそうだよな」
 リコさんが僕の後ろで、小さく驚きの声をあげます。
「それに……知らずに実験されてるヤツら。あんたの大好きなマモルさんもな?」
「ま、マモルさまに実験を行なっているだと! どういうことだ、言え!」
 レタルナさんが激昂している姿。今日一日行動していて、こんなに感情を露にした姿は初めてでした。
 彼女が「マモル様」と呼んでいるのは、アガレスの街で僕とウォンさんにメグミさんを託したあの黒い衣服の男だったと思います。きっと、大切な人なのでしょう。
「黒き魔王……とんだ、称号だな。必要なのは、あの男じゃなくて、双子という事実だけなのにな。あいつのアニキが本番で、あいつは練習だ、踏み台だ。どうなったっていいんだよ、なにがエビル計画だ。なにが、クオラの崇高な目的だ」
 一気にまくしたて、男は声音を落として言います。
「マモルさまが、踏み台……?」
「……エビル計画を止めてやれ。今なら、黒き魔王を救える。砂漠の外れの研究所にはまだマナシップが一台あるはずだ。あれの修理が間もなく終るだろうから、それに乗れ。イセリーナの森へ向かうんだ。まだ間に合う」
 レタルナさんは、男を押さえつけていた足をおろし、腰をかがめました。
「……お前、私やクルソラを助けようとして、マモル様を助ける情報を与えようとして、こんな回りくどいことをしたんですか?」
「クオラの中じゃ、色んな勢力がぶつかりあってる……あんなところで真実を語れるわけないだろ」
「だからって、こんな。死ななくても、良かったじゃないですか……私は……そんなお前を、手にかけてしまったじゃないですか!」
 男は血を吐く――それは、赤とは違う不気味な緑色をしていました。
「どっちにしてももう死ぬ運命だったんだ。自分の寿命くらい、実験動物だってわかるっての……俺もカウムースの黒き魔王もどきと一緒だ。失敗なんだよ……強大な力を手に入れたが、身体の細胞組織っていうのか? よくわからんが、それを劣化させたみたいでな……もう、中身はジジイなんだよ」
 大きかった体が徐々に縮んでいき、最後は空気の抜けた風船のようになってしまいました。
「お前に、この情報を渡せただけで満足だよ。その子をお前が本気で大事に思っていることも確認できたしな」
 男は、リコさんの隣にいるクルソラを見つめていました。
「どうして、この子のことを?」
 レタルナさんが尋ねると、「単純なことだよ」と答えました。
「その子が、俺の亡くなった娘に似ていたんだ……妻が死んで、男手一つで育てたのに、呆気なく殺されちまった。まさか脱出する時にマナを大量に消耗するとかそんな大変なことになるなんて思っていなくて……それは悪かったと思ってる」
 愛しそうにクルソラを見つめます。その表情が徐々に死に向かいつつあるのがわかりました。
「ははは、笑い事だな。娘に似ていたなんて、本当に、それっぽっちのことで、人は変われるんだな……ははっ、おもしろいな」

 ――こうして、男は名乗ることなく死んでいきました。
 ただ、一片の悔いもなかったのだと思います。清々しいまでに晴れ晴れとした死に顔でした。

 *

 裏カジノを脱出するのは、呆気なかったのです。
 クルソラがマナを行使し、僕らの姿を周囲の景色と同化させてしまったのでした。そんな複雑な魔法を唱えて大丈夫かと心配でしたが、普段ならばこれくらいどうってことないようで、今回マナが枯渇しかけていたのは、クルソラ自身の精神状態が不安定になった為ということでした。ヒュマンの僕にはいまだに、マナを扱うという行為がよくわからないので、そういうものなのか、と無理に納得させるしかありません。
 建物を出て、僕らはどこへ向かうかで難儀しました。今、助けてくれそうな人と言うと、カレンさんしか信頼のおける人は思い浮かばず、カレンさんの仕事場兼住居となっている建物に戻りました。
「何人、お客連れて来るんだよ。しかも女ばかり」
 玄関を開けて第一声。カレンさんは呆れた顔を見せましたが、すぐに中に招き入れてくれました。
「二階が住居だから、そっち行ってな! 一階は鍛冶関係のもの置いてあるから、おしゃべりは上でな」
 カレンさんは口調こそ粗暴ですが、とても気の利く人なのです。今回も、内輪の話であると考慮してくれたのだと思います。僕らは礼を言って、二階にあがりました。
 二階の部屋は思いのほか広く、女性の一人暮らしとは思えないものでしたが、元々はこの家に親父さんと一緒に住んでいたと言っていたのでそのせいでしょう。
 二階の部屋は三つあり、そのうちのひとつが広間となっていました。応接室みたいなものだったようです。他の部屋もちょっと視界に入ってしまいましたが、うち一つは親父さんの部屋だったようで、遺品はそのまま残っていました。こういった品はやはり捨てられないのでしょう。たくさん遺っていてうらやましくあります。
「どうしましたか」
 ファルネースで別れた父のことを考えていると、レタルナさんに尋ねられました。
 リコさんとクルソラは広間の端にある工具で遊んでいます。レタルナさんは長椅子に腰を下ろし、くつろいでいます。
「ちょっと、ファルネースで別れた父のことを思い出していまして……」
「えっと……」
 名前を知りたいのでしょう。そこで止まりました。
「エイナーです」
「エイナー。エイナーはヒュマンでしたね。父上は死別ですか?」
「おそらく。あの嵐じゃ助かっていないでしょう。もう十五年以上も前になります。ところで」
 僕が切り出そうとした話は、「マナシップ」というものについてでした。
「マナシップ、というものは本当にこのファルネースに実在するのですか? 噂では聞いたことがありましたが、いかんせん、鉄の塊が空を飛ぶとはファルネースの技術では信じられません。アースでは、飛行機は空を飛んでいました。父は……パイロットでした」
 レタルナさんは、思案していました。
「エイナーが十五年前この世界に来たとき、大きな船ごと来たのですか?」
「はい」
「船の上に、小型の飛行機という乗り物がありましたか?」
「はい。レタルナさんは知っているのですか?」
「ええ」
 ……やはり、そうだった。推測が確信に変わりつつありました。
「マナシップは、とある大陸に流れついたアースの技術をベースに作り出されました」
「父の、船だったのでしょうか」
「わかりませんが、そんな偶然もそうそうないと思います。時期的にも十五年前。一致しています」
「父は?」
「船が流れ着いたとき、ヒュマンはいなかったそうです。おそらくはもう……」
 もう十五年になるのです。生存は初めから諦めていました。けれど、父の乗った船が、父の乗った飛行機がこのファルネースに残っていたこと。また、それを引き継いだ技術がこの世界にあること。
 それらすべては、奇跡であるように思えて仕方ありませんでした。
「レタルナさん。その話を僕に、もっと詳しく教えてくれませんか?」
 せっかくの父の遺品への手がかりなのです。どうしても知りたかった。知って、それを見に行きたかったのです。
「……それは話せないです」
「そこを何とか! おねがいします、唯一の手がかりなんです」
 レタルナさんは頑なに教えてくれようとしませんでした。一筋縄にいかない事情がある様子でした。
「……レタルナさん、だったかな。わたしは、黒き魔王のクローンのこと、知っているよ。それがどんなにひどい所業をしてきたのか、けれども、どうして彼がそうなったのか」
「どういうことです?」
「カウムース大陸で、彼の最期を看取りました。わたしの知っている話が、あなたの今後の道筋の何らかのヒントになると思う。だから、情報交換。色んな事情はあると思う。だけど、エイナーに教えてあげて。彼の、大切な人に繋がることを」
 リコさんは真剣な表情で頼み込んでいました。赤の他人である僕のことなのに。
「私は今この場で貴方を殺すことができる。それでも、取引しようと言うの?」
「あなたは、感情が無いように見えるけれど、本当はそうじゃないでしょう。人を殺めるのだって、自分が生きていく上でいっぱいいっぱいだから、仕方なくやっているように私には見えるの。だって、あの名前も知らない人買いのこと。今も気にしているもの」
 レタルナさんはしばらく黙り込んでいました。
「クルソラのことだってそう。貴方は本当は優しいの」
 唇を強く噛み締め、しばらく震えていましたが、リコさんは取引も返事も聞かずに、先に話し始めたのです。カウムース大陸のティアルガの荒野で起きた、黒き魔王のクローンの物語を。

 *

 リコさんの話が終って、レタルナさんはちょっとずつ話し始めました。
 自分の生い立ちのこと。ハーフであったが、ケルト氏族のクシュナという男に拾われ、クオラの研究所で働いていたこと。そのクシュナがクオラのリーダーであること。ただ、自分は利用されているのは感じていたこと。
 強盗が研究所に入り込み、一度は死んだこと。機械化によって息を吹き返し、半分が機械の身体になってしまったこと。そのせいで、感情を失ったこと――。
「私はそれから、氷の女、鋼鉄の女などと呼ばれてきました。けれど、マモル様と会って、私と似たものを感じるようになって。マモル様のアシスタントとして付き添うようになってから、徐々に過去の私を取り戻してきました……それから、クルソラに会って。私は変わりました」
 すべては、マモルという男のお陰だと彼女は言います。
「さっき、リコさんの教えてくれたことで確信しました。マモル様のコピーを作っていたことも驚きでしたけど、その最期もまた……」
 悲劇でした。レタルナさんは、愛する人のコピーの死に、何を感じたのでしょう。もしかしたら、最愛の人を重ねたのかもしれません。その目には怒りがありありと浮かんでいました。
 しばしの無言。
 その間、レタルナさんはずっと何か考え込んでいる様子でした。しかし、意を決したように口を開きます。
「マモル様は、双子のヒュマンです。お兄様と一緒にファルネースへと飛ばされました。お兄様はクオラの表向きの顔――ヒュマンやハーフの救済活動に携わり、弟であるマモル様はヒュマンの裏の顔である、マナの揺らぎの調査をはじめとして表に出せない仕事に手を貸していました。それも、クシュナ様の目的に賛同したからです」
「目的、ですか?」
「ヒュマンをこれ以上、このファルネースへ迷い込ませないようにゲートの発生を防ぐこと。世界のマナの濃度を、土地などにかかわらず一定に保つことで、天災や魔物の発生を防ぐことです」
 アースとファルネースをつなぐゲートが発生するのは、ファルネースのある一点のマナ濃度が濃くなり、そのマナをマナの少ない方――この場合はマナの皆無である場所、すなわちアースへマナを流す浄化作用によるものです。そのかわり、アースより異物を吸い込む可能性がある。それがヒュマンである、と。
 その根本であるゲートを塞げば、ヒュマンは流れ込んでこない。これ以上、僕らのようなヒュマンを出さない。それがクオラの最終目標であり、そのためにはどんな手段も選ばないということでした。過激すぎるけれど、それを否定できない要素が、僕らヒュマンにはあります。
「マナの調査……ただそれだけであれば、私たちも付き従えたでしょうし、そう信じてきました。けれど、最近のクシュナ――クオラのリーダーです。そのクシュナの行動は限度を越えています。アトランテ大陸のカンディアと手を結んでからは益々ひどくなる一方で……もう、私はついていけない」
 レタルナさんは、宣言しました。
「私は、クオラを離反します。そして、エビル計画を阻止します」
 エビル計画、と先ほど、亡くなった男も言っていました。
「エビル計画って何ですか?」
「イセリーナの森に、その昔、存在していた幻獣の名がエビルです。その禍々しい姿から、“邪竜”と呼ばれ、その地に住まうノヴァラ氏族から大敵とされてきました。ある剣豪の手によって討たれたのですが……」
「そのエビルが何か関係でも……?」
「エビルの特異性は、マナを一瞬にして浄化させる力にあったそうです。完全に消すことはできなかったと聞きますが、それでもその力は余りあるものです。それを実験によってもっと高めることができて、アトランテ大陸の機械技術と融合できれば、ある地域のマナの量を意図的に激減させることが可能となります。その力を抽出するための実験には、エビルが必要となる……ここまでは私たちも知っていることでした。けれど、その被験体となるエビルの依代にマモル様が利用されるなんて……」
 許せない、とレタルナさんは目に涙をため、言いました。
 信じていた組織クオラ。自分を拾ってくれた恩人クシュナ。その両方に裏切られたのです。
「……あの」
 水をさすようでしたが、おおむね答えが見えそうだったので、僕は聞かずにいられなかったのです。
「もしかして、アトランテの機械技術のひとつがマナシップではないですか?」
 レタルナさんは頷きました。
「アトランテ大陸とは、ファルネースの四大陸とは別の“閉ざされた大陸”。ノルダニア、カウムース、バオウ、ミディリアの四つの大陸の中心に位置する、周囲を激しい海流で閉ざされた大陸です。一度迷い込めば出て来れない、かつて流刑地にも使われた大陸です」
 僕と父は、バオウ大陸の東の海で別れました。嵐の夜でした。僕は海に放り出され、父と船は激しい海流のある方角へ流されていったと、当時その場に居合わせた人はおっしゃっていました。
 だから、父の船はアトランテ大陸にあるということになります。
「アトランテ大陸は、西部をアナトリア連合。東部をカンディア連合という二つの組織に分かれています。西部はヒュマンを受け入れる主義。しかし、東部のカンディア連合は正反対。ヒュマンを嫌う派閥です。エイナーの父上の船は、バオウ大陸に近いアナトリア連合に流れ着いたと聞いています。マナシップは、アナトリア連合が開発し、カンディア連合はそれを模倣した。そしていまや、マナシップはアトランテの戦争の道具となりつつあります」
「父の飛行機が戦争のきっかけを作ってしまったのですね……」
 レタルナさんは、無言で肯定の意を示しました。
「いいんです、レタルナさん。わかっています。その、カンディア連合がおそらく、ケルトラウデ帝国と何らかの協定を結んだのですね」
 今、ケルトラウデ帝国のあるミディリア大陸は戦争という局面に向かいつつあると聞きます。
 ケルトラウデ帝国は神聖アガレス帝国と結びつき、未知の勢力であるカンディア連合と協定を結んだとすると、大陸を越えた大きな争いとなることは間違いありません。国家という形態を持たない、ノヴァラ氏族の集落の連合体“イセリーナ”もいつまで堪えることができるか、それが崩されるのも時間の問題でしょう。
 何よりも、先ほどの「エビル計画」はイセリーナの森で行なわれるという話です。それが成功してしまえば、もう打つ手はないように思えました。
「だからこそ、私はマモル様を救うため、マモル様を戦争の道具にしないため、イセリーナに向かいます」
「マナシップが一隻、あるんですね。でも、レタルナさんだけじゃ危ないです」
「そうだよ!」
 僕の言葉に被せるようにリコさんが入ってきました。
「これは、レタルナの問題だけじゃないんだよ。戦争になったらたくさんの人がきずつく。悲しむの。だから、わたしたちも……」
 レタルナさんは腰をあげ、立ったまま話を聞いているリコさんの肩に手を当て微笑みました。こんなに、素敵な笑顔を見せることができる女性だったんですね。
「リコ。貴方には貴方の役割があるのです」
「わたしの、役目?」
「ミディリア大陸内でおきている戦争の火種を外に飛ばさないように、とアガレス帝国の聖女が行動を起こしています。神聖アガレス帝国――賢人イノクの治める国家ですが、その賢人はクオラの手の者によって今やもうただの操り人形となっています。しかし、その娘である聖女マーリヤは違います。彼女はアガレス帝国を脱出し、第三勢力であるイセリーナの助力を得て、海洋国家ヒーチャリアに向かっています」
「……ヒーチャリア……わたしたちの次の目的地!」
 リコさんも覚えていたようです。僕たちが次に向かう国。ヒュマンを暖かく迎え入れる、ウチナー氏族の国。
「聖女マーリヤが直々に内情を知らせれば、きっとヒーチャリア王国は動くでしょう。そして、第三勢力であるイセリーナは戦争を起こさないように発起する。こうなれば、ミディリア大陸のみで全ては収まるはずです。すべては、聖女マーリヤが要です。彼女なくして、平和への道はないでしょう」
 そして、とレタルナさんは微笑みました。
「その、聖女マーリヤの安全を守り、行く手を切り開いているヒュマンの侍女がいると、クオラ内部に事情が伝わっています。貴方と同じくらいの年端の少女だと」
「わたしと同じくらいの……」
「わたしとマモル様は、メグミという少女をアガレス帝国の外れの海岸で保護しました。気絶したまま目を覚まさない彼女の容態を按じたマモル様は、彼女を救えるのは治癒魔法の使い手である聖女だけだと考え、アガレスの土地で、善人そうな行商にメグミさんを託しました。そこの、エイナーです」
 僕は強くうなづき、リコさんの目を見つめた。驚きと、喜びの入り混じった目をしています。
「僕とウォンさんは、メグミさんを――聖女マーリヤに託しました」
 すべての点が繋がり線となる。リコさんの目から、大粒の涙がぽろぽろとこぼれ始めます。
「めぐみちゃんは、聖女さんと一緒にいて。戦争を防ぐために、ヒーチャリア王国に向かっているの……?」
「奇しくも、クオラの真意を知ったマモル様の双子の兄も行動を共にしつつあると、今朝方のクオラの情報網には出ていました」
 何と言う偶然でしょう。まるで、ストーリーテラーによって紡がれた物語が、ひとつの結末に向かっているように、すべての要素が絡み合っています。
「だから、リコは、ヒーチャリア王国に向かうべきです。それが、メグミのためにもなりますし、ミディリア大陸ひいてはファルネース全世界のためにもなります」
 リコさんはレタルナさんに抱きつき、大声をあげて泣き始めました。その様子にびっくりしたクルソラが一緒になって泣き始めます。
 僕はどうしたものかと廊下に目を向けると、お茶を持ってこようとしてくれていたカレンさんと目が合いました。何かわからないけど大変そうだな、とその目は語っていました。ウインクして、カレンさんはお茶を床に置いて降りていきます。

 運命の歯車がかみ合い、廻り出しました。
 レタルナさんはクルソラを連れて、バオウ砂漠の遥か南にあるクオラの秘密研究所に向かいました。
 僕とリコさんはカレンさんに別れを告げ、ウォンさんとシャグナさんと合流し、ヒーチャリア王国へ向けて出発しました。
 リコさんをヒーチャリア王国で下ろした後、僕はウォンさんにあるお願いをしてみようと思っています。アトランテ大陸への潜入です。そこにはきっと、僕の父に繋がる何かがあるはずなのです。父はおそらくもう生きてはいないでしょう。しかし、父が遺した技術がそこにある。それだけで、僕はそこに行く価値があります。
 生きて帰ってきた人のいないと呼ばれる海流へ向かうのです。人は、自殺行為だと言うでしょう。だから、僕はウォンさんと別れて、ひとりで向かうつもりです。ウォンさんと出会って、生まれて初めてのわがままです。
 けれども、僕には生きてまた、ウォンさんたちと再会する自信がありました。なぜなら、アトランテ大陸には、飛行技術があるからです。
 マナシップ――父の遺した技術が、空を飛ぶ術がアトランテ大陸にはあるのです。パイロットの息子が、空を飛べないはずないのです。

 ヒーチャリア王国へ向かう船の甲板の上。
 僕は青空へ向けて両手を伸ばしてみました。潮風が気持ちよく、どこまでも澄み渡った空が広がっていました。
「どうしたんですか、エイナーくん」
 ウォンさんが眼鏡を直しながら、話しかけてきます。
「いや。こうやったら、空でも飛べるかななんて」
 笑い飛ばされるでしょう。鳥でもないのに、空を飛べるわけがないと。
「飛べますよ」
「え?」
「エイナー君なら飛べます。ちっちゃい頃から言ってたでしょう。父さんは空を飛んだ、僕も飛ぶんだって」
 最近は言わないようにしていたのに。
「……おぼえて、いたんですね」
「当たり前です。僕たちは、名コンビなのですから」
 そして、ウォンさんは軽く伸びをして、リコさんとシャグナさんの方へ歩き始めました。
「エイナー君」
 足を止め、顔を見ないまま。
「きみが空を飛ぶときは、僕も一緒ですよ」
 表情は見えなかったけれど、僕にはウォンさんの言葉がその分、深く深く身に染みました。
 僕は本当に、良い人に恵まれたと思います。父がいなくても、家族はここにちゃんと存在しています。僕は、ありがとう、と普段は恥ずかしくてウォンさんに言ったことの無い言葉を投げかけました。
 聞こえたのか、聞こえないのかわかりませんが、ウォンさんは軽くくしゃみをして、背中を向けたまま軽く右手を振りました。それがきっと、ウォンさんなりの「どういたしまして」の言葉なんだと思います。

 * * * * * * * *

 クォティは懐かしい何かを感じていた。
 マナから生まれたという緑髪の女性に、自分と似たにおいを感じた。

 ヒーチャリア。ウチナー。その言葉を耳にしても何かを感じた。
 それが何なのか。ヒーチャリアというところに行けば、あるいはわかるのかもしれなかった。


←back  next→
↑NOVEL TOP
↑PAGE TOP

inserted by FC2 system