『ファルネースの聖女』――第七章『アポリーナの章』

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第1話


「そなたの代わりなど、我には務まらぬ。否、誰にも務まらぬのだ」
 ――アポリーナ・ナイトリコス・エーギリウス。十七歳、女。若きウチナー氏族の頭首。

 * * * * * * * *


 空の青さと、海の青さは似て非なるもの。その事は我々、ウチナー氏族において知らぬものはおらぬ。
 常識、というものである。常識とは絶対にして神聖であり、易々と覆るものではない。
 だがしかし、我々の常識を眼前の女は無視していた。否、我の常識かもしれぬ。
「あの、巫女様?」
 女の隣におる金髪のヒュマンの呼びかけを聞き、自分を取り戻した。
「あ、いや。すまぬ。その、あまりにも似ていたものでな……」
 謁見の間――我の目前には二人のファルンと、二人のヒュマンが居た。
 ファルンはウォン、シャグナとそれぞれ名乗った。ウォンはサウル氏族で、バオウがミュンメイ氏族の長ミシア殿より親書を携えていた。
「ミシアさんはまだ族長ではなかった頃に、共に旅をした仲でして。つい先日、ミュンメイの里トルトキスに行く用事がありましてねぇ。このご時世でしょう? おそらくはヒーチャリアにも入国制限がかかっているのではないかと考え、用意してもらったんですよ」
 ウォンは人好きのする笑みを浮かべて、説明した。なるほど、悪い者ではないようである。商売人にありがちな媚びを売るような嫌な笑いでもなかった。
 ウォンの言う通りであった。現在、中立を貫く為、ケルトラウデ帝国の使者は受け入れておらず、また、商売の類と言えど、一部のお抱えの者の他は入国禁止としていたが、他ならぬミシア殿の頼みとあらば、受け入れぬわけにはいかなんだ。
「リコは、ここの国の伝統楽器に似たものを持っていた。それで、彼女の道しるべにならないかと思い、ここに立ち寄った次第だ。それに、ウチナー氏族の神託は有名だからきっと何かの役に立ってもらえるだろうと思って」
 シャグナと名乗った黒髪のファルンが言う。こやつは、ミシアによるとラグルド氏族であるらしい。かつて決戦の地オスパーナでその血筋は途絶えたと聞いておったのだが。
「その楽器、僕らの故郷アースのものとよく似ているんだそうです」
 エイナーが、恐縮したままである――あるいは、我と同じように言葉を失うほど驚いているのやもしれぬ。
 そう、似ているのは楽器だけではなかったのじゃ。
「リコとやら。驚くでない。我も驚いたのだ」
 そう。我とリコは瓜二つの顔をしておる。まるで、噂に聞く「双子」と呼ばれるものとよく似ていた。
「私にそっくりさんなんて、いたんだ……」
 リコは目を大きく見開いたまま、我の顔を観察する。同性であってもこれほどまでに一心不乱に見つめられると、なんだ、恥ずかしい。
「その楽器、よく見せてたぼれ」
 照れ隠しに話題を振る。我はリコより、サンシェンを受け取った。
「このサンシェンは――」
 手にした瞬間、皮膚に吸いつく様な感覚を味わう。頭の中に、いくつかの断片的な景色や人の記憶が流れ込む。全身の血が煮えたぎるように熱く熱く脈打つ。始祖ウチナーの血が、この楽器に反応していた。
「アポリーナ様」
 側近の兵が不審に感じて歩み寄ろうとする。我はそれを留め、胸にサンシェンを抱いてみた。
「このサンシェン……」
 エーギリウス家の者にしかわからないだろう。
 始祖ウチナーを直接の祖先とするエーギリウス家の者は代々、始祖より伝わる神獣の力を部分的に引き継いでいる。即ち、マナの流れを機敏に読み取る、神託と呼ばれる行為。星を見て先を占うサウル氏族のものを更に強くした、国規模、大陸規模、そして世界規模の神託。
 エーギリウスの血流が反応したのだ。そのサンシェンがただの楽器であるはずがない。
「アヤヒト」
 側近の兵の名を呼ぶ。
「はっ」
「マナ戦争の頃の伝聞のなかで、始祖ウチナーは愛用の楽器を。戦の最中に消失したとあるな?」
「そのとおりにございます」
「ならば……」
 我はまたも手元の楽器を見つめる。これこそ、始祖ウチナー由来の品。神代の力の宿りし楽器。
 認めねばなるまい。そして、全てを託さねばなるまい。
「始祖ウチナーより代々引き継がれし、巫女の御名。リコ様。貴方に託しまする」
 我は、そう告げた。
 ヒーチャリアの、新しき巫女に。

 *

 引継ぎの儀。
 巫女から、次の世代の巫女へ引き継ぐ為の神聖な儀式と思われているが、実際そんなにたいそれたものではない。我も先代の巫女である母より、儀式の間に通され、小一時間ふたりで会話しただけである。
 力を引き継ぐ必要などない。巫女となる者はすでに力量を有しておる。必要なのは、心。意志。祖先より継がれてきた願いを引き継ぐこと。
「リコ様」
「リコでいいよ、同い年でしょ? たぶん」
「そ、そうか」
「うん」
 やや、静寂。
「あの、アポリーナさん」
「アポリーナで良い」
 仕返しである。リコはやや面食らった顔をしておったが、すぐに破顔してみせた。
「わたしたち、本当にそっくり」
「ああ、ほんにな」
 それは、親戚や家族といった垣根を越えて、魂という色まで辿り着きそうな酷似性。
「……信じられぬが、そなたと我は同じマナをしている」
「同じ、マナ?」
「そなたの生い立ちを聞かせてもらえないじゃろうか」
 リコは笑顔で頷いた。

「わたしはね。南月島っていう、沖縄(“うちなー”)の小さな小さな島で生まれたの。そこには、人魚の伝説があってね――」
 故郷の話だ。
「人魚?」
「海を泳ぐ人? おさかな? とにかく、海が大好きなんだと思うの」
「なんじゃそれは。ときに、先ほど伝説と申したな。何百年くらい前の話か? あるいは何千年前か」
「ううー。そこまでわかんないよう」
「何と。記録を残さぬのか? ウチナー氏族はすべて碑文にして残すぞ」
「こ、国民性の違いだよたぶん」
 なんと、国民性の違いであったか。それなら致し方あるまい。我は納得せざるを得なかった。
 リコはその他にも故郷にまつわる伝統的な行事や、織物。料理などの話をしてくれた。どれも、ヒーチャリアに似通ったものであった。多少、ヒーチャリアはファルネースの他国の文化も入っているので違う趣はあったのだが。
「しかし……そなたの故郷の島のある地域の呼称の“ウチナー”と、泳ぐのが得意な人魚の話……その他の話のどれも何かしら似通った部分があるのう」
 考えられることとすれば。
 ヒーチャリアの祖先が、リコと同郷のヒュマンであった――ということであろう。
「おぬしは次期巫女となる器を持った女だ。なってくれるか、なってくれないか。そこのあたりは今は深く考えなくて良い。否なら聞いた後に断ってもらっても良いのだ」
 そう前置きして聞かせた。
「これは、ウチナー氏族がヒュマンを暖かく迎え入れる風潮にも起因しよる。ヒーチャリアのウチナー氏族の始祖であるウチナーという女性は、一般には知られておらんが、ヒュマンである母ヒーチャと、ファルンである父アポロンより生まれた。ヒーチャリアという国号は母ヒーチャよりいただき、ここ首都アポロニクスはアポロンより名づけられておる」
 そして付け加える。我の名もな、と。
「始祖ウチナーは、神獣の力を継ぎしカオスだ。その秘密を貫くため、世間一般にヒーチャというのは人間の名前ではなく神獣の名前とされておる。神獣の子であらば、始祖ファレッタの例もあるし何ら驚くべきことではないからのう。我らが祖先のつき従った神獣の名は、クオリティと言う」
 ファルネース全世界を揺るがしかねない事実を我は告げ、リコの反応を待った。
「……うん」
「お、おう」
「……」
「……」
 無反応じゃった。
「つまり、始祖ウチナーさんは、わたしと同じ島で生まれたってこと?」
「う、うむ。島まで一緒だったかどうかはわからんが……」
「あと、神獣クオリティって、もしかしてこれ?」
 リコはそう言うと、大事そうに抱えていたサンシェンを奏で歌い始めた。その歌は、不思議なことに我らがウチナー氏族に伝わる、子守唄であった。
「なぜ、その歌を……」
 歌と、サンシェンの音色。それらが入り混じる。
 我はしばし聞き惚れた。ヒーチャリア全土を探しても、これほどの歌い手はそうそうおらぬと思えた。
「リコ……おぬしはやはり――」
 巫女の器だ、と言いかけたそのとき、リコのサンシェンから眩い光が発せられる。
 奇妙な音が聞こえた。ブブブブ、という何か低い唸り声のような。
『ブブブブブ』
 音は次第に大きくなる。
『ブブブブブ』
 視界に白い影が一瞬映る。何かがこの部屋に“いる”。
『くぉくぉくぉ』
 また、白い影が走る。
『ぶぶぶぶ、クォティイイイ!』
 聞こえた。叫び声にも似た、それでいて、喜色を滲ませた声が。
『クォティー!』
 リコの歌に共鳴し、目前に現れたのは――ウチナー氏族に古くから伝わる伝説にある、白き人形の神獣“クオリティ”であった。

 *

「こ、これは……」
 伝説にあるそのものと同じ姿をしていた。
「クォティだよ」
 リコは嬉しそうにそう言うだけじゃが、事の重大さを理解しているのだろうか。
「く、クォティ?」
「うん、鳴き声。この子、クォティとしか言わないの」
 我は始祖ウチナーに力を分け与えたそのものを見た。
 その表情には、笑みが張りついている。微動だにせぬ。果たしてそれは喜びか。はたまた、笑顔の下に何か別の感情を潜ませておるのか。それはわからなんだ。
 ただ、おおよそ、この“神獣”には感情がないように思えた。いやいや、仮初にも神である。我らが人知の及ばぬところにお考えがあろう。しかし、それでも――
「――あまりに、違うのではないか?」
 我は思わず口にしておった。
 伝説に残る“神獣クオリティ”は、気高く、13神獣のなかでも秀でていたと聞く。マナそのものの存在を操り、世界の均衡を保ったと聞く。クオリティの健在だった頃のゲートの発生頻度は今よりも遥かに少なかったと聞いている。クオリティは、アースとファルネースの狭間の番人。アースより迷い込んだヒュマンを見て、己の力量の及ばぬことを嘆いた心優しき、神獣。
 ……それが、どうだ。
 目前の、白い人の形をしたものは、そんな気配は微塵すら感じさせぬ。果たしてこれが伝説に等しいものなのであろうか。リコが「クォティ」と呼んだものは、両手をひろげて、鳥が飛ぶようなしぐさを見せながら、この引継ぎの間のなかを走り回っておった。とてもじゃないが、我にはその姿は、神獣には見えなんだ。
 現に、クォティは、しばし周回した後にその姿をかき消すようにして――失せた。
「クォティはね、またこのサンシェンに戻るんだよ」
「わずかばかり貸してくれぬか?」
 リコが嬉しそうに見せたサンシェンを、我は受け取り、その紋様等を観察した。
 間違いなく、マナ戦争の頃の碑文に伝わる始祖ウチナーの持ちし、サンシェンである。
 ますますわからぬ。であれば、水鏡の儀を行うほかにはあるまい。
 引継ぎの間は、海上に建てられた宮殿である。床の一部を切り抜き、海と直通していた。これは、我らがウチナー氏族たる所以でもある。
 衣類の類を脱ぎ捨て、我はその水面へ向かった。
「え、ちょっとアポリーナ、今から泳ぐの?」
「まあ、そんなところだ。ヒュマンは驚くやもしれんが、我らがウチナー氏族の真の姿。そちたちの言葉で借りると――」
 海水へと飛び込み、海のマナを全身に感じる――下半身が、変化していくのがわかった。それは水の温度が体に浸透していくのと同じ速さで進む。
「――人魚じゃ。海の中でも暮らせるよう、始祖ウチナーの代より受け継がれた体質じゃな」
 我は海上へ尾を出し、リコの表情を盗み見た。リコはしばらく呆気に取られた顔をしていたが、すぐに表情を明るくすると嬉しそうに抱きついてきよった。
「な、なんじゃ!?」
「人魚だ、人魚! すごい、はじめて見た! 童話の中だけじゃなかったんだ!」
 よせ、と言う前に、リコは海水へ落ちた。幸い、泳ぎの達人である我がついておるので、溺れることはない。
 我が抱きかけていると、またリコは大きな声で笑い始めた。
「人魚だ人魚ー!」
 ウチナー氏族がこの姿になることを知っている者は他氏族におっても、実際に目にしたものは少ないだろう。ある意味で、ウチナー氏族は警戒意識が強く、他氏族には易々とこの姿は見せぬ。
 よく、「ウチナー氏族は明るくて陽気で誰でも仲良くなる」と言われるがあれは外面じゃ。我らほど、身内意識の高い閉鎖的な種族も他にはおらんじゃろう。
 しかし、そんな我でも、リコには妙な親近感があった。顔が似ている。生い立ちが、我らウチナー氏族と似ている。それもあろう。けれども、他人のような気がしない。まるで、別の世界の自分に会っているような、そんな錯覚さえあった。

 だからこそ、我はリコの前で水鏡の儀を行うことにした。未来を見る、ウチナー氏族の秘技。
 この技を行っている間、ウチナー氏族は完全に無防備となるため、本来ならば信頼のおける者としか行うことはない。たとえ、同じウチナー氏族であっても、自分の全てを許せる相手でないと、この儀式を行うことはないのだ。
 かつて、始祖ウチナーは、始祖ノヴァラの頼みでその儀式を行い、聖獣の遺骸に未来を見る力を付したと言う。それは今も、「夢見の水晶」として、剣の搭に伝わっている。
 しかし、その水晶はあくまでも、不確定な未来の一部を見せるに過ぎぬ。本来、始祖ウチナーは過去や未来、ありとあらゆるものを見ることに長けたと聞いている。ある程度の条件はあったであろう。だがそれでも、始祖ウチナーは予言をいくつも碑文に遺した。預言者としての始祖ウチナーは、他の氏族を遥かに凌いだ。
 その子孫たる我もまた、部分的にではあるが、その力を引き継いでいる。現一族の誰よりも強く。それが、ウチナーの巫女たる所以である。

 我は海水に濡れたリコを地上へ戻し、サンシェンを渡すように頼んだ。
「我が見るは過去。我が見るは忘れられし記憶――」
 サンシェンを受け取り、そのものに宿った記憶を辿る。ただ、ひたすらに。
「千五百年の昔に行われた史実を、今こそ我のもとに――」
 従来であれば、我の力でそれは叶わぬ。それほどまでに過去や未来を読むことは困難なのである。じゃが、クオリティの宿った依代であれば話は違ってくる。彼こそは、我らがウチナーの神であるのだから。
「海よ、宇宙よ。神よ、生命よ。このまま永久に――夕凪を」
 瞬間、世界が静止した。
 無音。
 失われる時間。
 失われる色。
 そして、唐突に全てが巻き戻される。回転。戻り。振り出しへ。全ては、歴史の一点へ。
 世界に音と色が戻り――千五百年前の光景が、我の目の前へと映った。

 場所は、この部屋で間違いないだろう。ただ、時間だけが違っていた。これは紛れもなく、神話時代と呼ばれる頃の光景だ。
 我の目の前では、白い人型――神獣クオリティと、我と良く顔の似た少女が立っておった。
「クオリティ様。本当にありがとうございます」
 クオリティの顔にはあの貼りついたような笑みはなく、ただ目を閉じた無表情だけが浮かんでいる。
『良いのだ、ウチナーよ』
 ウチナーとは、我ら氏族のことではなく、始祖の名であろう。
「ありがとうございます、本当にありがとうございます」
 しかし応えたのは始祖ウチナーではなかった。始祖とよく似た顔を持つ女性だった。
『汝も良いのだ。チュラサよ』
 チュラサと呼ばれた女性は両手を覆って、泣き崩れた。始祖ウチナーはその肩を優しく包み込むように抱いた。
「お姉さま。何も心配なさることはないのです」
「ウチナー……私はなんとすばらしい妹を持ったのでしょう」
 しばし、優しく流れるひととき――姉妹愛を終え、二人はクオリティに向き合った。
『カオス・ウチナー。ハーフ・チュラサ。可愛い私の眷属よ。そなたらの母ヒーチャもまた、ファルネースに迷い込んだ哀れな子羊だった。これはひとえに我の責任でもある。我がゲートを守りきれば、そなたらのような者も生み出すことはなかった……ヒュマン達と言えど、もともとの故郷を何も好んで捨ててまで、この世界に移り住んできたわけではないのだ。彼らとて、故郷は故郷。本来、このような一方通行の世界に来てはならうのだ』
 始祖ウチナーは、前に歩み出る。
「クオリティ様は、そんな哀れな私たちを守ってくださいます。神獣ウォルカーンなどは世界の異物として排除しようとするのに、貴方は違う。暖かく受け入れてくれる」
『……ウチナーよ。神獣ディウスや神獣ウォルカーンの言うこともわかるのだ。だからこそ、我自身が身を持って、汝らのような新しい世代を導くところを示さねばならぬのだ』
 だから気にかけるな、とクオリティはふたりに言った。
「クオリティ様……私達のようなハーフのような落ちこぼれにもお目をかけていただいて、ありがとうございます」
『チュラサよ。我は嬉しいのだ。閉ざされた大陸に流されたそなたがこうして生きて帰ってきた奇跡が何よりも嬉しいのだ』
「姉さま。ウチナーも嬉しうございます。姉さまのお子のためならば、私はどんな大業だって成し遂げます。クオリティ様が不在の間も、このエーギルを守ってみせます」
 そして、ウチナーは、『あれを』と付き人に申し付ける。
 付き人はすぐにマナアイテムを持って来た。ウチナーとチュラサの母ヒーチャがアースより伝えた楽器“サンシェン”であった。
「母より私へと直々に継がれたものです。今でこそ、島中に広がっているものではありますが、これこそ、初代のものでして、エーギルが各地よりいただいた中でも選りすぐりの素材で仕上げたもの」
 ウチナーが説明すると、クオリティはそれを受け取った。
「サンシェンの棹の部分は、遥か北西のカウムースから取り寄せた神代の木。ボディの蛇皮は、遥か北東のノルダニアの毒地に生息していた魔獣です。それに、弾く手に持つ、この赤いバチは、バオウ大陸のファレスタ山脈で取れた中でも高密度のマナストーンです。選び抜かれた素材で作り上げられたのは、初期作だけで、他は一般に広く流通させるために、ミディリアで取れるものだけで作っているので、これ以上の、依代はもはや無いかと思います」
 バチと呼ばれた、人の指先にはめるような爪型の赤いマナストーンを観察するとクオリティは『結構である』と無愛想な表情を崩すことなく言った。そこには神としての威厳だけが浮かんでいた。
『さて、まずは我が力……我が居なくなってもこのエーギルを守り続けられるように、ウチナーに託そう。海を愛し、海と共に生きる能力――それことが、我らが一族の力と心得よ』
 クオリティが念じる。
 ウチナーの身体が一瞬うっすらと光を放ち、それはすぐに掻き消えた。何が起こったのかはわからなかったが、ウチナーは確かに力を宿ったことを感じたようだった。
『どのような変化は海に入り、念ずればわかろう。チュラサよ。残念ながら、お前にはこの力を託せないが……』
「いいえ、我が子の生命を救ってもらえる、それだけで私は幸せなのです。世界からすれば、たかだかその程度のこと。されど、私からすれば、可愛い可愛い宝物なのです。命こそ宝。かけがえのない、大事な愛息子なのです」
『我の力をサンシェンと、マナストーンで創られたこの赤きバチに分けよう。おおもとは、サンシェンへと封印される形となる。マナストーンはあくまでも予備と心得よ。封印解除の際には、汝ら二人にわかる呪文を設定せよ。万が一に備え、他者にはわからぬものをな』
 しかし、とチュラサは顔を暗くする。
「一時的とは言え、その御身をサンシェンごときに宿していただくことになろうとは……」
 クオリティは、少し表情を緩めた気がした。そこには、自身の守護する一族を慈しむ気持ちが溢れているような気がした。
『気にするでない。それに、こうでもせねば、神獣たる我が力が強すぎて、マナの急激に減っているオスパーナではどんな事象を引き起こすやもしれぬ。ここは、サンシェンに身を隠すのがどちらにしても得策と言えよう』
 チュラサは改めて礼を述べた。
『チュラサよ。移動用には、“千年亀(エンシェントタートル)”を用意した。長旅になる。覚悟しなさい』
 クオリティは言う。
『大魔王ファルネースはオスパーナに……マナの枯渇を……ウォルカーンが許さねば……』
 言葉が徐々に薄れていく。聞こえなくなる。
 我はもうこれ以上の過去は見れないと悟った。徐々に意識が薄れていき、それは深い海の底に沈んでいくような感覚だった。

 始祖ウチナーに、双子の姉がいたこと。
 神獣クオリティがマナ戦争の時代に何らかの策を講じていたこと。
 それらの真相がわからないまま――我は、時の流れをまた早送りされる。目まぐるしい早さで現代へと巻きかえり、ヒーチャリアに一隻の船が向かってきている。そこから、リコと同じ黒髪の少女が降りてくる。
 リコが嬉しそうに少女と抱き合い――そこで、意識が途切れた。


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