『ファルネースの聖女』――第七章『アポリーナの章』

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第2話


 目が覚めた。
 場所は誰かが運んでくれたのであろう。ベッドの上であった。
「あ、アポリーナ。おはよ」
 ちょうど部屋に入ってこようとしていたリコが、微笑む。
「あいや、すまぬ……引継ぎの儀の最中だったというのに」
「いいよ。それより、これ、美味しいんだよ。わたしの故郷の料理とすごく似てるの」
 リコが差し出したのは、我が国の特産物ニガリを活かした炒め物だった。ニガリは表面に細かい凹凸がいくつもあって、輪切りにすると中に白い綿が入っている。この綿を抜かないと苦くて、外の地の者には食べられないだろう。
 しかし、リコはその白い綿の部分を揚げたものを食していた。
「苦くないのか?」
「おいしいよ。お父さんは、ビールによく合うって言ってた」
 ビールとは、アースより伝来した飲み物だったか。ここヒーチャリアでも生産されている。
「そうか」
 どうやら、リコの住んでいた島と、このヒーチャリアはとても文化のよく似た場所であるらしい。
「我はどのくらい寝ていた?」
「んー。わかんないけど、半日も寝ていないんじゃないかな? まだ夕方でもないし」
 ウォンとエイナーは街の商店を見に行ったらしい。シャグナは公共図書室を利用したいということで、ひとり書物に埋もれているとのことだった。
「よし、夕涼みに行こう。我が案内しよう」
 この国の至る所を見せれば、リコと所縁あるものも見つかるかもしれない。
 そう考えたのだが、リコは我の予想以上に喜んだ。まるで子供のように跳ねると、愛用のサンシェンを紐で背中に括りつけると、「はやくはやく」と急かした。
 我は、走り出すリコを追いかけるので必死である。リコの背中のサンシェンを見つめる。あの中に入っているのは――紛れもない、我らが神獣クオリティ。過去の記録を見た限り、間違いなかろう。詳しくはリコに聞いてみないとわからない。
 どういう経緯でそれを手に入れたのか。どういう経緯でその封印が解けたのか。そして、我が受けた神託の内容を確認せねばならない。
 赤きバチについては、長くヒーチャリア王国に伝わってきた神器であったが、盗人が入ったために失われておった。隣人に悪人は居ないという、ウチナー氏族の呑気な考えが生んだ油断が原因である。しかし、まさかそこにも神獣の力が宿っていたとは気づかなんだ。
 クオリティ――白き神獣。今このタイミングで、この場所に姿を現したということは神託を信じざるを得ないということになろう。

『ヒーチャリアの地に、古き白き神を背負いし、黒髪のヒュマンの少女現る。彼女こそが、ウチナーの巫女にして世界を救う聖女』
 確かに、母なる海からはそう聞こえた。海は、マナの全ての源とも言われている。我ら海の一族は、代々そうやって神話の時代から生きてきた。
 これから起こる戦乱。それを正しく終わらせる術は、目前のこの小さな背中の少女だけである。それはあまりに荷が重過ぎるのではないかと思えた。
「ねえ、ウォンさんとエイナーさんも、しばらく滞在していいでしょ?」
「あ、おうとも。ミシア殿の紹介された客人であれば、断る理由もあるまい」
 ウォンとエイナーは、どういうわけか、“閉ざされた大陸”に行きたがっておるそうで、旅する行商とはそういう未知への探究心があるものであるらしい。あるいは、他に何か事情があるのかもしれぬ。
 先刻の過去を垣間見た折にも「閉ざされた大陸」という単語は耳に入った。始祖ウチナーの姉チュラサが、何らかの鍵を握っていると見て問題ないと思えた。
「あの女の人、何?」
 我は話に夢中になっておって、リコにヒーチャリアの街の案内をせねばならぬということを失念しておった。
 我らは、エーギリウス皇家の宮殿を出て、水上に作られた通路を歩き、陸地へと渡った。そこで、リコは何かを見つけたらしい。
「ああ、あれな。あれは、海に潜って魚類を獲っておる」
「へえ、海女(あま)さんか」
 おおむね単語も一致していた。言語を統一化するという大気のマナの恩恵もあるだろうが、やはり、アースに起源があったと見て間違いなかった。
 海女を横目に、我は街中へと進んでいった。街頭に広がる商店などをひとつひとつ紹介していく。そこで作られている民芸品、そして料理。それらの至る所で、リコは故郷と似たものを感じている様子だった。
「あ、ビールだ」
 リコはとある一店で足を止めた。そこには大樽が置かれており、小瓶に飲料を貰う仕組みになっていた。
 リコはそのビールをじっと見つめていた。
「うむ。バオウ大陸がファルネースではビールが有名だが、あそこのはどうにもきつすぎるきらいがある。それに比べて、ここヒーチャリアのビールはまろやかで、酒に弱いものにも飲めるようになっておる。まあ、そういうわけだから、酒豪のトグル氏族などは物足りぬとぬかしよるが……」
 そのとき、我はサウルとヒュマンの二人組がいることに気づいた。
「エイナーくん! ここのビールは飲みやすいですよー!」
「ちょっとウォンさん! そんなこと言ってまた酔いつぶれるのでしょう? あなたはお酒に弱いんですからほどほどに……」
「え、エイナーくん!? 昼間なのにお星様がぐるぐる回ってますよー。これは世界が滅ぶ前触れでしょうか、おお始祖サウルよ!」
 何やら物騒なことを叫んだ後に、サウル氏族の男ウォンは倒れた。
 どうしたものかと、ヒュマンの方の男が周囲を見回し、我らを見つけた。仕方なく、我とリコは手を貸してやることにした。

「いやあ、助かりました。お二方、ありがとうございます」
 エイナーは礼を述べた。
 我らはウォンをござの上に寝かせ、特産品のコロ茶を飲んでいた。リコはこれを、「さんぴんちゃ」だとか「じゃすみんてぃー」だとか言っておったから、始祖ウチナーの母ヒーチャが伝えたものかもしれない。
「ウォンさんはお酒に弱いくせに、ほんと困った人ですよ」
 リコはそれを聞いて、くすっと笑った。
「うちのお父さんも、そうだったー。弱いクセにやめられないんだよね」
「いやいや、でもリコさんのお父さんとウォンさんを一緒にしたら失礼ですよ」
 エイナーはそう言うと、「お父さん、か」と少し寂しげな目をした。
「あの、アポリーナ様」
「様は要らん」
 エイナーが急に改まったので、思わず即答してしまった。
「じゃあ、アポリーナさん。僕とウォンさんを、今しばらくこの島に置いていただけないでしょうか」
 それは先ほどリコより聞いたところである。
「僕たちは、閉ざされた大陸に行こうと思っています。そのためには、ここが最も海流が穏やかで、乗り込むとしたらこの島からだと思うのです」
「それは良いが……何のためにあのような外界と閉ざされた地へ行くのじゃ。あそこは未開の土地故に危険も多いと聞き及んでおる」
 エイナーはどう説明するか一瞬悩んだが、すぐに顔をあげよった。
「父の遺したものが、あそこにあると思うんです」
 そう言って、にわかに信じがたいことを説明してくれた。
 ヒュマンであるエイナーとエイナーの父は、ここファルネースへ嵐の夜にゲートを抜けてやってきたと言う。そして、エイナーは海に投げ出され、最後に見たのは、閉ざされた大陸の方へ進んでいく父の船だった。
「あの日の嵐はとてもひどくて、僕自身、生きていたのは奇跡でした」
「だとすれば、そなたの父上は……」
「生きてはいないでしょう。けれども、父が遺した空を飛ぶ技術が、あの閉ざされた大陸にはあるんです」
 これである。人類が空を飛べるはずなどなかろう。
 しかし、ひとつ引っかかる点があった。先刻見た、過去のチュラサの発言である。チュラサは閉ざされた大陸に流されたと言っておった。だが、またここヒーチャリア――当時はエーギルか――に戻ってきたと言っておった。果たして、あの海流を越えられるものであろうか。何か、空を飛ぶ技術はかつても存在していたのではないだろうか。
 それが、エイナーの言うものとは別物だとしても、人類に空を飛べないなどと決めつけて果たして良いものか。
「そういえば」
 我はもうひとつ、思い出した。
 閉ざされた大陸から、幾度かとても巨大な怪鳥が空を飛んでいたことを。未開の地故に、魔獣の生態系も違うのかと思っておったがあるいは。
「どでかい鳥が、その大陸の方角に度々目撃されておる。何か関係があるやもしれん」
 エイナーは目を大きく見開き、真剣に話を聞いていた。
「まあ、詳しくはわからぬ。ただ、こちらでも何かわかれば知らせよう。そなたらは海路で閉ざされた大陸へ行くのじゃろう。それは危険すぎる手段じゃが、今のところ他に打つ手もない。しばらく準備に時間をかけ、装備などを整えると良い」
「滞在さえ許可していただけたら、あとはこっちで……」
「いや、我も少しばかり心当たりが出て来たのでな。学者に調べさせる」
 空を飛ぶ乗り物など、考えたこともなかった。
 ウチナー氏族は、石碑に記録を刻み込む。だが、その全てが正しいとは限らないし、風化してしまってところどころ読み取れないものもいくつかあった。当然、刻んだ時点で間違いもあることも予想される。
 即ち、今まで書き損じかと思われていた事項や、どう考えても解釈できなかった事実が、「空を飛べる」という観点から読み取れば解釈可能なものも出て来る可能性もありうる。現に我はお伽話として聞かされていた、空を飛ぶ船のことを思い出している。その一点だけでも何か手がかりとなるかもしれなかった。
「ありがとうございます。父の、唯一の手がかりなんです」
 エイナーは何度も頭を下げた。
「エイナー、よかったね、本当によかったね!」
 リコが感涙しながら叫んでおる。心から嬉しい様子だった。
「わたしも、お父さん亡くしちゃったからわかるの」
 リコは、そう言った。
 ビールの話を思い出す――そうか、過去のことのように語ったのはそういう事情があったからか。
「わたしね、エイナーと同じで。お父さんもお母さんもいないんだよ」
「そうですか……リコさんも苦労されたんですよね。でも、僕はウォンさんに拾われて、こうやって一緒に行商をやっています。あの人あんなんですけど、とってもいい人なんですよ」
「わたしも、めぐみちゃんっていう親友がいて。その子のお陰で今まで頑張って来れたの。その子とはファルネースに来て生き別れになっちゃったんだけど……今はシャグナが居てくれるから」
 我はその言葉を聴いて、過去を見た後の、未来の映像を思い出した。リコが船から出て来た少女と抱き合っていた光景。あれこそが、生き別れの親友との再会なのだ。
 でも、とリコは続けた。
「でも、もうすぐ会えるの」
 我はその瞬間、リコが我と同じ未来を見ていたことを知った。

 *

 エイナーとウォンに客室を用意した後、ささやかな晩餐を終えた。
 我はリコと、浜辺に座っていた。遠くに、閉ざされた大陸がうっすらと見える。
「リコよ。そなた、見えておったのか」
「未来のこと?」
「ああ」
「うん。アポリーナさんが過去を見たとき、私も一緒に見たの。三つの場面を見た」
「三つじゃと?」
 三つ。
 我が見たのは、神獣クオリティがサンシェンに身を宿す光景と、先ほど述べた、リコとメグミの再会の光景の二つだった。
「一つは、めぐみちゃんと再会できた場面。もうひとつは、大昔だと思う。チュラサさんとウチナーさんとクオティが居た。最後のひとつは、それからもうちょっと後の話だと思う。チュラサさんが行方不明になってしまって、クオティの欠けた状態で、マナ戦争に挑もうって感じだった」
「さ、最後のひとつを詳しく教えてくれぬか」
 頷き、リコは一部始終をたどたどしいながら説明した。
 あの後、クオリティを封じ込めたサンシェンを持って、チュラサは息子を救うために旅立っていた。しかし、何らかの事故に遭い、エーギルには戻ってこなかった。詳しくはわからぬが、それが成功さえしていれば、あるいは大魔王との戦い――マナ戦争を阻止することもできたとか。
 じゃが、それは失敗に終わり、時は流れた。大魔王は着々と力をつけ、全ての神獣と、全ての始祖が手を取り合って、決戦の地オスパーナへと向かうことになった。ここで困ったのは、始祖ウチナーであるが、神獣クオリティはこの時のために自らの代理を用意しておった。赤きバチに宿った分身である。ウチナーはそれを以って神獣の分身だと説明し、事情も説明した。この新たに神獣と認められた、クオリティの分身はその際に名を「ヒーチャ」とされた。その年に亡くなった母の名である。このとき、国名も正しくヒーチャリアと名づけられた。
 こうして、十七始祖と、十七神獣が揃い、大魔王を封印した。本来ならば消滅させられたところを、封印で留めることになったのはクオリティの完全な状態の能力が無かったからであろう。

「……なるほど」
 我はリコの話を聞いて、頭の中で歴史の隙間を埋める作業を行ない、頷いた。
「あと、わたしが知っていることといえば、このサンシェン。確かに、エンシェントタートルっていう亀の背中で拾ったの。そこには、女性のミイラがあったの。それがきっと……チュラサさんだと思う。きっと、何か事故があったんだと思う」
 女性の一人旅である。たとえば、盗賊の類がエンシェントタートルに気づけば、希少な生き物故に何らかの行動を起こさないとも限らない。その際に見つかったとすれば、無事では居ないだろう。
 もしくは、病気の類やもしれぬ。長旅となれば、野ざらしに近い。
 どちらにしても、不運な最期であったことは間違いあるまい。果たして、助けたかった息子とやらも助けることができたのかどうか。それすらも今はわからない。
「歴史と真実が離れすぎておるのじゃ。マナ戦争でそもそも大魔王は滅んだとされておる。が、そうではなく封印されただけに過ぎないという。また、ウチナーの記録にある、マナ戦争には姉のチュラサのことなど一切ない。そればかりか、神獣ヒーチャという風に表向きは伝わっておる。さすがにこればかりは、クオリティがウチナーに力を与えた際に別のものに生まれ変わったために名前が変わったとされていたがな。そして、サンシェンじゃが、これはそもそもオスパーナで失ったという風に伝わっておる。赤いバチは持ち帰られて、ここヒーチャリアに伝わっておったが、一千年以上も前に盗人の手に落ちて、今はもうここにはない」
「もう一回、過去を見たりできないの?」
 伝説と、真実の差は開くばかりである。それを確かめる術は今のところはない。
「我の水鏡の術で見れるものには制限がある。二度同じ事をしても、もうその事象に関連したものを狙って見ることはできぬ。始祖ウチナーならばあるいは可能じゃったかもしれぬ。そして、あるいはリコ――そなたならば」
「え、わたしが?」
「そなたは特別な気がするのじゃ。通常このように他人が見ている事象に横入りはできぬのだ。我の見た過去は我にしか見えぬもの。そして、別の読み手が見た未来を我が見ることは叶わぬ。今回、リコが共に過去を見、未来を見ることができたのはどういう理由かわからぬが、おそらく、そなたと我々には同じ血が流れていると解釈すべきなのじゃろう」
「え、わたしたち、親戚なの?」
 我は頷いてみせた。リコは茫然自失としておる。
「エンシェントタートルの上で、サンシェンを奏でたじゃろう。そのときに歌った唄こそ、始祖ウチナーの母ヒーチャの故郷の歌と同じものじゃ。それに、クオリティを呼び覚ます封印はおそらく血族のものじゃなければ解けぬようにできておる」
 文字にすれば「奇跡」。たった、それぽちの安い言葉で終ってしまう。
 しかし、そこには千五百年の歳月を越えて繋がる血脈がある。世界を隔てても、別の道を歩み続けた二つの流れがあった。それを表現するのに、他に何と形容すれば良いのか我にはわからなんだ。
「そっか……わたし、沖縄の方の親戚はもう誰もいないって思ってた。けど、そっか、こんなに遠いとこにいたんだね。あは、不思議。こういうとき何ていうのかな? ひさしぶり、は変かな」
 リコはそう言うと、我に抱きついてきた。孤独じゃったに違いない。
 アースに残った血と、ファルネースにやってきた血。それぞれ生きてきた地は違えど、その血は同じ。我々はしばし、その奇跡を確かめ合った。

 *

 翌朝。
 シャグナとリコと朝食を取っている折に伝令を受けた。我の側近、アヤヒトが何やら神妙な顔をして報告した。
 一隻の船が親書を携えて、鎖国中の我が国に入国を求めていると。ウォンの所有する商船もミシア殿の親書があったから入国させたものの、ミディリア大陸内でケルトラウデ帝国とアガレス定国が手を組み、他国へ侵攻させようとしている世界情勢の中、みすみす入国させることはまずない。
「どこの国のものじゃ」
「各国に所属しない、戦乱に関与しない第三者勢力――ノヴァラ氏族の統領ヴァレオン・トーゴー殿の親書であります」
 ノヴァラ氏族が動いた――それは、まさしく戦乱の前触れであった。そして、何が悪で何を倒すべきなのかも、正しくこの瞬間理解した。戦乱に移り行くことは元より預言で知っていたのじゃから、悩むことも何も無い。
 アヤヒトも、ウチナー氏族としてどういう流れを汲んでいくのか最早覚悟しておるのだろう。冷静な口調で続ける。
「未来は不確定故にまだ封書の中身を定めるまでは断言できませんが、おそらくは、アポリーナ様の神託の通りで間違いないかと。入港させ、待機させております。船から降ろして、直接お話をされますか?」
「ノヴァラの者か? もしかしたら、知り合いかもしれない」
 シャグナが口を挟んだ。
「親書を持参している使いは、少女と老人という害の無さそうな二人です。ノヴァラ氏族かと思うのですが……」
 おそらくは、黒髪の少女を見てそう考えたのだろう。まあ無理もなかろう。この神託を知っているのは、我とリコだけなのだから。
「いや、ヒュマンだ」
 二も三もなかった。朝食を放り出して、椅子を蹴倒し、リコが走り始めた。
「すぐ入港を許可させよ」
 普段はリコは食事の時間は絶対に譲らない性質なのであろう。昨晩の食事の雰囲気からそう感じられた。であれば、シャグナが驚くのは無理もないことである。
 唖然とするシャグナとアヤヒトをその場に残し、我もリコの後を追いかけた。
 リコは宮廷を出て、海上の廊下を走り続け、途中転んでどこか擦り剥いたようだったがお構い無しに走り続けた。港の方角はおおよそ理解できている様子じゃったので、我はその背中を追い続けた。
 リコは走った。その胸中によぎっているのは、離れていた間のそれぞれの境遇か。はたまた、故郷での思い出か。
 いよいよ、港が見えた。船の上には、黒髪の少女と白髪の老人が立っておった。甲板の少女はリコの姿を認めると、船からロープを垂らし、降り始めた。これに驚いたのはヒーチャリアの兵たちである。不法入国なのだから当然だ。
 我は叫んだ。
「その者に入国許可を出す! 一切の邪魔立てを禁ずる!」
 兵たちは動きを止め、我ももう歩みを止めた。
 その中で動いているのは、ふたりの黒髪のヒュマンの少女。
 船から下りようとしていた少女は途中、足を踏み外し海へと落ちた。リコもまた、埠頭まで来たところで海へと飛び込んだ。ヒーチャリアの澄んだ水色の海が、二人の少女を暖かく受け入れる。
 少女が泳ぎ、リコが泳ぐ。そして、二人はようやく互いを認め、海の中で抱きしめ合った。

 リコとメグミ。
 親友の二人はこのファルネースに来てから引き裂かれた。今、離れていた道がまたこうして繋がった。
 我の隣に、息を切らせてシャグナがやって来た。
「そうか、会えたんだな」
 感慨深そうに、シャグナは呟く。
「ああ、会えたようじゃ」
「正直、最初はもう死んでしまっているものと思っていた。けど、そんなことリコには言えずに旅を続けてきた。でも、情報が少しずつ出てきて、もしかしたら生きているかもしれないんじゃないかって。それがここに来て、現実のものになるとは……。奇跡って、あるんだね」
 シャグナの目には涙こそ浮かんではいなかったが、感動に打ち震えている様子であった。
 これだから男は。ほんに素直ではない。
「巫女様。涙が……」
 シャグナに遅れてアヤヒトが現れる。
「我はもう、ウチナーの巫女ではない! ウチナーの皇女ではあるが、巫女はあの少女のことじゃ」
「であれば――私と結婚してくださいますか」
 アヤヒトは、我を真っ直ぐに見つめた。
 エーギリウス家の中で巫女の地位にあるものは婚姻できない――これは、代々継がれてきたしきたりである。由来はわからないが、巫女という立場上の理由であろう。
 本来、ウチナー氏族は自由な民族なのである。それが掟に縛られるのは例外的にこの巫女という立場のみ。
「あの……」
「ええい、皆まで言わせるな」
 そう言って、我はそっぽを向いた。アヤヒトに顔を見られとうなかったからじゃった。
 素直でないのは、我の方かもしれなかった。
 目線をリコの方へ移し、それからアヤヒトの方へと移す。困ったような表情をしておる。ここは男の仕事じゃろうに。
 一瞬考えて、勇気をふりしぼる。そして、アヤヒトの胸に抱きついた。

 リコがメグミと出会った奇跡があるというのなら、千五百年前に、討伐できずに先送りにしただけの大魔王にしたって解決できそうなものだ。そして、ミディリアの戦役も。
 我はアヤヒトに抱きついたまま、そっとシャグナの顔を見てみた。きっとこの男はリコの事を好いておるであろうから。
 その目には、確かに涙の雫が浮かんでおった。
 安心せい、婚姻できぬのはウチナー氏族であって巫女であるものだけじゃから、リコには関係ない。内心で呟く。もっとも、シャグナが涙を浮かべているのは、リコがメグミと出会えた奇跡に対してじゃ。
 こうやって、いくつもの奇跡があわさる。リコとメグミが二人とも生きていた奇跡。リコがひとりではなく、シャグナの手を借りてここまでやって来た奇跡。リコがやって来たこの地は、リコと遠い祖先を同じに持つウチナー氏族であったという奇跡。
 奇跡、運命。いくつもの奇跡が歯車となり、運命の輪が回り始める。表現するとすれば、“デスティニーギア”か。
 今また、運命の歯車は噛みあい、奇跡の物語は大きく大きく進み始めているのであった。


 * * * * * * * *

 クォティは自らの生い立ちを知った。
 知ってなお、思い出すことができない自分に苛立った。

 ならば、半身を探せば、あるいは思い出せるのかもしれなかった。
 けれど、今でもひとつだけ覚えていたものがあったことをヒーチャリアで見つけた。

 かつて、愛する眷族を思っていたときの感情。
 始祖ウチナーをはじめ一族の者を思っていた感情。
 それは、リコに寄せていた想いと同じものであった。

 クォティは、いちばん大事なものを覚えていたのである。


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