『酒場の話』――ある、酒場の話。

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第1話


 箱庭に住む人々が、自分の世界を箱庭と気づくのはいつだろう?
 箱庭に住む人々が、自分の世界を箱庭と気づいたらどうだろう?
 地平の向こうまで飛べる渡り鳥でさえ、またこの地へ戻ってくる
 地に這うだけの私が、どうして外に出られようか
 今宵も火を囲う共は、酒と弓と影法師だけである
   ――ユシアナ族に伝わる詩 飲酒の段の冒頭より


 大概にして、大都市には領主がいて、領主の家は一等地に大きな館を建てるものである。
 大きな館の下には一等地を囲う形で高級な家々が並び、その周囲には普通の家々が並び、その周囲には都市を守る壁が作られる。人の流れはどこの場所でもあまり変わらないのである。
 ノルダニア大陸の都市“ジャン・バッハ”もその例に漏れず、領主は領地に城を建てる金持ちで、その周りを賑やかな城下町が囲っている。城下町の外に並ぶのが一般人の家々で、その外には城壁があるのである。
 しかし、この街はその外に、もう一つだけ特殊な要素を持っている。
 貧民街である。
 城壁の外にへばり付く形で、いびつな形の家々がゴチャゴチャとくっついている街。
 それは、上級な家々の並ぶ地区と一般市民の住まう地区を足したのと同じくらいの大きさを持ち、城下町の隣にもう一つ街が出来たような景観である。

 貧民街の中程――と言っても、どこかは判然としないが――に、大きな酒屋がある。
 正面の看板には「第二番飯店」と書いてあるが、その隣に「板」や「新中期経営経営計画」、側面には「品質」と書かれていて、外観を見ただけでは何の店かは理解しきれないが、中で人々が酒を飲みながら歓談しているのである。
 ファルネースは貧民街に住まう人々が、酒を飲みながら歓談しているのであるから、名前はどうあれ酒屋として機能していると言えよう。

 酒屋の中は広く、一階広間にはテーブルが十数個、二階広間にもテーブルが数個、三回からは個室が数十個という形である。
 その内の一つのテーブルに、三人の男女が座って酒盛りをしている。
 卓上にあるのは酒だけで、つまみはそれぞれの語りだけのようである。

「……というわけで、この前消えた町は全部覚醒種が原因だってわけなんですよ、コレが」
 そう言ったのは、ジャン・バッハ大学は魔術学科の研究生、ジョシュ・ホフマンである。
 その容姿はヒョロヒョロと背ばかり高くて、筋肉から贅肉まで、肉という肉を削ぎ落としたような格好。
 今は、口に付いた麦酒の泡を飛ばしながら、キンキンと高い声で喋り続けているところである。
「なんせ覚醒種の魔術の使い方は常識を外れてますからねぇ。あぁ、ぼくも空飛べたらなぁ……」
「ジョシュ坊、また目が遠くを見てるぜ」
「うるさいですよガンニック君。ぼくに意見するなら、理論のひとつも理解できるようになってからにして下さい」
「相変わらず手厳しいなぁ、ジョシュ坊。物乞い崩れの俺にそんなこと言うない」
 そう言うのは、ベガー・ギルド(物乞い組合)に所属する、ガンニック・バードである。
 体はガッチリしているが、ひどい短躯で、背丈はジョシュの半分もない。
 ジョッキに入った麦酒をチビチビ嘗めながら、陰鬱そうな顔付きでジョシュを見ている。
「ジョシュ坊と俺の仲だろ?昔は一緒に貧民窟で遊んだじゃねぇかよ」
「ジニー(ジョシュの略称)はすっかり出世しちゃったってことよ。ダニー(ガンニックの略称)はいつまで経っても子供のままねぇ」
「アンナ嬢まで俺をイジめるのか!? 勘弁してくれよ!」
「あら、褒めてるのよ? いつまでも童心を忘れない人ってね。フフフ……」
 そう言って笑ったのは、“ママ・ダ・ママ”の高級娼婦――とは言っても貧民街のだが――アンナ・ディアナである。
 程々の背丈・程々の体型の上に、絹が薄い上に露出度が高く、その上ケバケバしい赤のドレスを着て、ある程度は整っている顔に厚く化粧を塗りたくっている。
 彼女の前には度数の強い蒸溜酒の入ったグラスが、半分程空けられたまま滴を垂らしている。

「ところでアンナ君。いい加減ぼくをジニーと呼ぶのはやめてくれないか?」
「あら、なぜかしら?」
「君がさっき言ったじゃないか。ぼくはもう子供じゃないんだ。昔の呼び方は止めてくれたまえ」
「でも、あなた言う程の功績は上げてないわよね、大学で」
「…………」
 急に黙って麦酒に口を付け始めたジョシュを見て、アンナはクスクスと声を殺しながら笑った。
「あんた達って、ほんと変わらないわねぇ」
 一気に酒を飲み終えたジョシュと、一頻り酒を嘗め終えたガンニックは、異口同音に「そんなことはない」と口にした。
 昔から変わらないそのやりとりに、アンナはアハハと声を上げて笑い出した。

「あぁ、だから、たまにあんた達に会うと楽しいのよね」
 アンナは笑い過ぎて浮かんでしまった涙を拭いながら言った。
「そうだ、何か面白い話でも聞かせて頂戴! あんた達に会うのも久しぶりだし、何かネタ仕入れて来てるんでしょ?」
「任せてくれよ! 俺が伊達に乞食崩れしてるわけじゃないことを教えてやるぜ!」
 そう声を上げたのはガンニックである。
 確かに、この都市のベガー・ギルドは単なる物乞いの寄り集まりではない。
 生活を援助しあうという目的もあることにはあるが、ベガーというどこにでもいる人物として生きることで様々な情報を収集する、同職業者による立派な営利組織でもあるのである。
「俺が最近聞いたのは、この街の向こうの山を越えた所にあったって言う“迷いの森”の話だな」
「ほう、それは興味深いですね。一つ聞かせて貰いましょうか」
「そうね、あたしも聞きたいわ」
 二人に促されて、ガンニックはゆっくり口を開いた。

 俺がその話を聞いたのは、二週間くらい前だったかな。一人の旅人野郎が宿屋で主人と話し込んでるのを聞いちまったんだ。
 なんでも、その“迷いの森”ってのは薬草や飯用の草採りに行ったヤツらが消えたり、いきなり地球人(ヒュマン)が出て来たりするって噂の場所だったらしいんだと。
 ところが先日、そこに入ったきりだった若者がひょっこり帰って来たんだってんだ。
 街の人間は当然心配するわなぁ。
 なのに若者ときたら、住人に病気の時のための薬を所望するばかりで、今まで何をしていたのか全然言おうとしないわけだ。
 気になるだろう?
 住人も気になって『事情を言わなきゃ薬はやれん!』と脅して宥めてすかして無理やり聞き出したんだ。
 それによると、どうも『迷いの森』には美人の覚醒種がいて、気に入ったソイツを留めておくために森に魔術をかけちまったんだと。
 男衆は躍り上がるわけよ。
 美人の女が病気で寝込んでいて、その悪い美女が森を通せなくしていたわけだから。
 男衆は男を脅して道案内をさせて、迷いの森の魔女退治に繰り出したわけだ。
 下心ありありでな。
 結果は、もちろんいつも通りよ。
 男衆は帰って来なかったわけだな。
 ただ一つ違うのは、若者が一人で帰って来たってことだ。
 ただし、一言も話のできない廃人同然の状態でな。
 だから、ほら、この前街に女達が大勢貧民街に移住して来てただろ?

「あら、確かにそうね。あたしの店にも新人が入ってたわ」
「だろう? 俺だって伊達に物乞い崩れをやってるわけじゃないんだぜ?」
「そのセリフはさっき聞いたわよ」
 ガンニックとアンナがクスクスと笑い声を上げた。
 それを遮るようにして、今度はジョシュが口を開く。
「まぁ、待って下さい。そのテの話ならぼくも知っていますよ」
「ほ、本当か?」
「本当ですとも。ぼくの場合は、更に詳しい状況までわかっていますよ」
 そう言うと、ジョシュは薄い胸板を誇らしげに反らして見せた。
「何なら、お話して差し上げましょうか?」
「き、聞くとも!」
「あたしも聞かせて貰おうかしら」
 二人の言葉を聞くと、ジョシュは勢い込んで話し出した。

 大学での研究で最近わかったことなのですが、魔力の元になるマナというものは、増幅するものなのだそうです。
 とある博士の研究によって、マナ元素が炎に変化した後、再びマナ元素に戻った時、マナ元素は変化する前より増幅しているという事実が突き止められたのですね。
 そこで、その博士はある仮説を立てました。
『マナを常に消費し続けている場所のマナは通常以上に濃い。そこでは異常な現象が発生する』
 そのモデルケースとして選ばれたのが、先ほどガンニック君の話に出ていた“迷いの森”です。
 確か、先週の話ですね。
 博士一行は男衆も女衆も消えてしまって寂れた街を抜けて“迷いの森”へ入り込みました。
 そこにあったのは、なんと、通常では考えられない面積を持った森でした。
 地図上でも、外観からも想像できない程、その森の中身は広がっていたのです。
 男衆はその広大な森の中心部辺りで、体中から草を生やして死んでいました。
 博士達はある程度魔術の心得がありましたので、魔術を使用して脱出計り、そして現在に至るのです。

「……それで?」
 満足げに話を終えてしまったジョシュに対して、アンナが不満げな声を上げた。
「それで、と言いますと?」
「それでどうしたってのよ。今の、たださっきの話のネタバレしただけじゃないの」
「いや、ですから、この状況もそれで説明できるということを言いたかったですよ」
「どういうことよ」
「いや、それはですね……」
「何よ?」
 あまりに強く出られてタジタジとなったジョシュは、まだ話の意味を考えていたガンニックに目配せした。
 不機嫌になったアンナを相手にする時、相手にしていない方が助け船を出すのは昔からの約束事だ。
 ガンニックはそれとなく、口を開いた。
「確かに、まぁ、気になるよな」
「……ダニーはそう思うの?」
「思うね。だって、考えてみろよ。高級街の大学に通うジョシュ坊と、娼婦街で寝泊まりしているアンナ嬢、そしてそこいらを転々とし続けているはずの物乞い崩れの俺が、こうして一堂に会してるだぜ? 今まで変だと思わなかったヤツの方が、よっぽどどうかしてるってもんだ!」

「実の所、博士が発見した案を、ぼくなりに変化させて考えたんです」
 ジョシュは、そう口を開いた。
「マナの濃い所は異常が発生する。そして、人間も常にマナを消費して、増幅に一役買っているんじゃないかと」
 ジョシュの言葉に、アンナが反応した。
「……確か、貧民街ができたのって相当前だったわよね?」
「ベガーの俺が知ってる限りでも、百年以上は前だって言うぜ」
「今住んでいるヤツの数も、相当なものよね?」
「俺の知ってる限りで、一万人以上だって聞いたことがあるぜ」
 ジョシュはその言葉を受けて話しを続けた。
「人の密集度とマナの濃度は比例するとして考えると、この貧民街は既に異常が現れていると考えた方が自然というものです」
「例えば、どんなヤツがあるのかしら?」
「そうですね、例えば……空間の歪み……」
 その言葉を聞いた時、アンナの目にある物が飛び込んできた。
 それは自分たち三人以外の酒屋の客の姿だった。全裸の人や、頭に1と書いた人、そして名無しと頭に書いた大勢の人々が、そこいら中で「ふぁるねーす」だとか「リコたん」だとか「願いの玉」だとか話し合っている。
 日頃の酒場の光景とは違って、混沌としていてわけがわからなかった。
「ねぇ、ジニー。あんた、酒屋の看板なんて書いてあったか覚えてるかしら?」
「いや、覚えていませんよ」
「……なら、いいわ」
 アンナはそう言うと、ゆっくり席から立ち上がった。
「ちょっと怖くなっちゃったわ。まぁ、それだけ面白かったってことからかしらね。ありがと、二人とも」
「あぁ、俺も楽しかったぜ」
「ぼくも楽しかったと言っておきますよ」
 二人も席を立って、それぞれの酒代をテーブルの上に置いた。
「次会うのはいつかしら?」
「そんな遠くはないんじゃないか? 何せ、時空ってのが歪んでるんだろ?」
「まぁ、そういうことになりますね。取り敢えず外へ出ましょうか」
 三人はそれぞれ異口同音に「また会おう」と言い合うと、三人とも別々の扉へ向かって歩いて行った。


 空を飛ぶ渡り鳥が、自分の世界を箱庭と気づくのはいつだろう?
 地を旅する人々が、自分の世界を箱庭と気づいたらどうだろう?
 日々酒を痛飲して、また痛烈に酔う
 二日酔いでベッドに横たわり、そのまま頭痛を持て余す
 その日々の何が悪いのよ
 冒険するだけが人生じゃないわ
   ――アンナ・ディアナが冒険者と寝た後に詠んだ詩


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