『酒場の話』――ある、酒場の話。

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第2話


 森に分け入り、獣を狩って飢を凌ぐ
 時折人里に下り、化生を狩って施しを受ける
 方々移り住むも、住みかは常にあばら家にする
 吹き荒れる悲風に身を晒し、生い茂る雑草の中に没して眠る
 今日も飢に身を裂かれる度に、行かねばならぬ理由(ワケ)を思い出す
 誰も知らぬであろう旅路の理由を
   ――あるノヴァラ族の青年が残した詩


 北の大陸ノルダニアの住みにくさは、数ある大陸においても有名なものである。
 こと中部から北部にかけては一年を通して豪雪が降り続き、人など住めたものではないというのが定説である。そこに国を構えるフェヴアル族は気が狂っていると時折り揶揄されることからもその住みにくさは伺えるだろう。
 それ故に、人々の大半は南部に集中して住んでいる。
 学術都市とよばれる“ジャン・バッハ”は、この南部の町々の交通の要に存在する都市なのである。
 現在、北の交易王(と書いて「こうえきなりきん」と読む)であるジャン・バッハの子孫、ジャン・バッハ三世の放任政治の下、日々雑然さに磨きをかけている。
 例えば、都市の外壁にへばり付くようにして存在するする貧民街などは、はや百年を越える歴史を持ち、その人口たるや一万を越すとさえ言われ、一説にはマナ濃度の過多による異常現象さえ現れているとさえ噂されているものである。
 学術都市ジャン・バッハ。貧民街中央部。
 貧民街に住まう人間は、そこを“貧民窟”と呼んでいる。
 雑然とした景観の貧民街であるが、貧民窟と呼ばれる場所はそれに輪をかけて雑然としていて、地元の人間でもそこに足を踏み込めば一週間は出て来られないと言われている。
 しかしながら、現在、そんな場所に足を踏み入れた人物が二名ほどいる。
 一人は、人間一人が通ればすれ違うことさえできない狭い通路を、慣れた風に通り抜けて行く女。
 もう一人は、狭い通路を窮屈そうに歩いている鎧姿の男である。
「それにしても狭い通路だな。他に道はなかったのか、アンナとやら?」
 薄暗い通路を歩きながら、鎧姿の男はそう言った。
確かに、男の鎧は、時折狭い木の通路に引っ掛かって実に動きにくそうである。
「これにはコツがありますのよ。慣れればどうってことありませんわ」
 そう応えるのは、カンテラを片手に男の先頭を歩く女――アンナと呼ばれた女である。
 確かに、アンナはスイスイと狭い通路を進んでいるのであるが、着ている服は男の着込んでいる鎧に負けないほど動きにくそうな、薄手で露出度の高い、裾がビラビラした紫色のイブニングドレスである。
「確かにそうなのかも知れんが、しかし、何と言うか……」
「何ですの?」
「いや、凄い格好だと思ってな」
 男の興味津々の声に、アンナは困った顔で応えた。
「すみません、依頼主様(クライアント)。何せ仕事の後、すぐ呼ばれたものですから」
「仕事とな?」
「はい……もう一度自己紹介した方が良さそうですわね。娼館『ママ・ダ・ママ』で娼婦を勤めております、アンナ・ディアナと申しますの。よろしくお願いしますわ、依頼主様」
「娼婦?」
「左様ですわ」
 アンナは化粧を厚く塗りたくった顔を男の方へむけて言う。
「そちらの方がご入り用でしたら、また別途でお願いしますわ」
 そう言いながら、アンナはドレスをヒラヒラさせながら狭い通路をスイッと曲がって行ってしまった。
 カンテラの明かりが角の向こうに消え、後には安い香水の匂いだけが残るだけである。
 男はキツ過ぎる匂いに顔をしかめると、鎧を突っかけ突っかけしながら慌てて角を曲がって行った。

 男の名前はレオンである。
 ……と、アンナは聞かされていた。
 これは『ママ・ダ・ママ』づたいではあるが、娼婦とは別口の仕事なのである。
 内容は、迷えば一週間は出てこられない貧民窟の案内だと聞かされている。
 実際の所はどうか知ったことではない。
 貧民街に住む者は、義理のある人間、弱みを握られている人間、そして金払いの良い人間には滅法弱いのである。
 この場合、アンナにとって、レオンは三番目の人種に値している。
「ところで、アンナとやら。化け物はまだ出て来んのか?」
「化け物ですか?」
「あぁ、仕事の内容が内容であるからな。気になって仕方ないのだが」
「内容の方は私の関する所ではありませんが……ヒトケモノはもう少し先にならないと出てきませんわ」
「ヒトケモノ?」
「えぇ、ここに出現するモンスターの名前。それがヒトケモノですの」
「奇妙な名であるな」
「私も人づてに聞いた名前ですから詳しいことはわかりませんけど……あら、開けた所に出ましたわよ」
 アンナの言うとおり、狭い通路は唐突に切れて、その先にはダンスホールかと見まごうばかりの大広間が広がっている。カンテラの明かりが反対側まで届かず、無暗に立派な調度の壁が向こう側へ続いているのが途中から暗闇に沈んでいる。
 また不思議なことに、部屋への入り口は、先ほど通ってきた粗末な木の狭い通路以外には見あたらない。
「……これまた奇妙な」
「それが貧民窟の貧民窟たる所以ですわ」
「成る程。さすがに、これだけ広いとヒトケモノとやらが出てきてもおかしくなさそうだが……」
 唐突に、広間の向こう側に明かりが灯った。
「何奴!」
 レオンは誰何の声を上げると共に、腰に下げていた剣を抜きはなった。
 精妙な反りを持った片刃の剣の、スラリと鞘走る音が、広間に響く。
「答えねば斬るぞ!」
「ま、待って下さいよ旦那ぁ!しがない乞食崩れに剣を突きつけるのは酷ってもんですぜ!」
 広間の闇をカンテラで押しのけながら現れたのは、ガッチリした体格でありながら極度の短躯の男だった。
 確かにレオンも大柄な質ではあるが、それでも男の身の丈は、レオンの腰にも届きはしないだろう。
「へへ、どうも失礼しやす」
「お前は……?」
 短躯の男はヘラヘラ笑いながらレオンの前までやって来ると、卑屈そうに腰を屈めて敵意のないことを示しながら口を開いた。
「へえ、俺の名前はガンニック・バードと申しやす。ベガー・ギルド(物乞い組合)からのガキの使いでございやす」
「ベガー?」
 レオンは納得いかない様子で、いまだに剣を鞘に収めようとしない。
 ガンニックと名乗った男は、更に腰を屈め、床に平伏するようにして話を続ける。
「いやいやいや、怪しいもんじゃございませんて! こっちだって仕事で来てるんですよ! 勘弁してくだせぇよ!」
 頭を擦り付けんばかりのガンニックと、事態に困惑しているレオンのやりとりを見て、アンナがクスクスと笑い声を上げた。
「アンナとやら。これはどういうことなのだ?」
「フフフ、失礼しました依頼主様。本来、道案内の仕事はベガー・ギルドが担当しておりますの。私は引き継ぎ役兼見届け役でございますのよ」
 レオンはそれを聞くと、再びガンニックに視線を向けた。
 その視線に気が付くと、ガンニックは顔中に精一杯の媚びのような表情を作って見せる。
「……成る程、確かに獣という顔ではないな」
「へへ、さすがは旦那! お察しの良さはピカイチでございやすな!」
 レオンの言葉に気をよくしたガンニックは、更に言葉を続ける。
「その珍しい剣も、正にただ者じゃないって感じでやす! たしか、噂に聞く剛剣、高名なノヴァラ族の『カタナ』とかいう……」
 パチリという鋭い音が響いた。
見れば、いつの間にか、レオンは剣を鞘にしまい込んでいる。
「……黙らねば、今度こそ本気で抜くぞ」
 ガンニックはそのまま黙り込んでしまった。
 遅まきながら、ノヴァラ族が自身の身の上を詮索されることを嫌う気質であることを思い出したのだ。
「し、失礼しやした旦那」
 ガンニックの言葉に、レオンは小さく頷くと、ただ一言「先を急げ」とだけ言った。

 ガンニックは案内を進める内に再び調子を取り戻し、卑屈そうな調子で話しを続け出していた。
 曰く、近隣の化け物を退治したのはノヴァラ族が筆頭で、町ゆく人も貧民街の人々もノヴァラ族だけは無条件で信用するとか。
 曰く、伝説によればノヴァラ族は皆剣術の達人で、先ほどの剣技も達人技で度肝を抜かれたとか。
 曰く、レオンの旦那は背格好も顔つきも良いから、女には随分ともてただろうとか。
 おべんちゃらばかりを並べられたレオンは閉口するばかりである。
 後をついて来ていたアンナは、さすがに雰囲気の悪さを気遣ってガンニックに耳打ちをした。
「ダニー(ガンニックの略称)、喋り過ぎよ」
「お? そ、そうか?」
「そうよ」
「いや、しかしよぉ、この正直な喋り口が俺の……」
「あんたのそのおべんちゃらで、依頼主様も随分ご機嫌を悪くしているのよ」
 その言葉に、ガンニックはチラリと後ろを盗み見た。
 レオンの表情は、決して穏やかなものでないことが一目でわかるようなものであった。
「……こいつぁ、悪いことを……」
 ガンニックが済まなそうな顔をして頭を下げた。
 レオンは渋い顔色を少しも変えず「化け物はまだか?」とだけ言う。
「へえ、あそこの角を曲がれば、仕切りの扉がごぜぇます。その先がヒトケモノ共の住みかで……」
 それだけ聞くと、レオンは懐から革袋を取り出して、ガンニックに投げてよこした。
「約束の金だ。後は一人で行く」
「な、何をいいなさるんですか、旦那! 帰りはどうなさるつもりで!?」
「自分で何とかする」
「いやいや、それじゃあ困りやす! 後で仕事も半分だから金も半分何て言われたら……」
 レオンは無言のまま角を曲がると、仕切りとなっているドアをけり飛ばすようにして開けて、さっさと中に入って行ってしまった。

「……これで終わりか?」
 金を片手に困惑しているガンニックの言葉に、すっかり呆れ顔になっているアンナが応える。
「そうね。あんたの仕事は、一応ここまでね」
「あっけないもんだな」
「そりゃそうよ。半分断られたようなもんじゃない。もう少し粘れば、冒険につきあえたかも知れないわよ?」
「なに、俺のそんな気はサラサラねぇよ」
 その言葉を聞いて、アンナは「ハァ」とため息をついた。
「何て言うか、あんたって本当に仕事下手ねぇ」
「おかげで楽に終わったみたいだけどな」
「後でどんな苦情が来るやら、知れたものじゃないわよ?」
「なぁに、ジョシュ坊が相手でもないんだ。当世一代の剣客様が、そんなみみっちいこと言って来るわきゃないって」
 その時、二人の真後ろにあった扉が、唐突に開いた。
「今、誰かぼくのことをみみっちいって言いませんでしたか?」
 そう言って扉から現れたのは、くすんだ灰色のローブを羽織った、ヒョロヒョロとした長身の人物――件のジョシュ坊こと、バッハ大学魔術学科の研究生、ジョシュ・ホフマンである。
「こいつは奇遇だな、ジョシュ坊! お前も仕事か?」
「話を逸らさないで下さい、ガンニック君。僕はあなたに質問したのですよ」
「堅いこと言うない。アンナ嬢とジョシュ坊と俺。三人ともガキの頃は貧民窟で遊んでいた仲じゃねぇか!」
「まぁ、それはそうですが」
「そうだよなぁ、アンナ嬢?」
 話を振られたアンナは、ヒョイと肩をすくめて言った。
「あたしは、昔より今のことの方が気になるわ」
 ガンニックとジョシュも、その言葉に大きく首肯した。

 ガンニックとアンナがカクカクシカジカと事情を説明すると、ジョシュも自身の状況を喋り出した。
「ぼくは研究のための実地検査です。この貧民窟はマナの力で空間が歪んでいるのではないかと専らの噂ですからね。人間が原因でもマナの濃度が過密のなるのか、その確認に丁度いいんですよ」
 そう言うと、彼は懐から紙の束を取り出して、二人に渡して見せた。
「まぁ、別口の仕事を請け負ってもいるのですが……」
 ガンニックとアンナが『機密書類だからマジマジとは確認できないが、ほんの偶然の事故でチラと見えてしまった』ところによると、貧民窟に発生するオルグというモンスターの調査と、ある男の足取りの調査がその別口の仕事らしい。
「ねぇ、ジニー(ジョシュの略称)」
「何ですか、アンナ君」
「この紙に書いてあるオルグって何なの?」
 アンナが『ほんの偶然の事故でチラと見えてしまった』紙に描かれているのは、まるで人間が獣に変化したような姿の化け物だった。
「それは、ここの通称で言うヒトケモノというヤツですよ。マナの濃度バランスの崩れた場所で時折発生する、マナ障害が原因の化け物です」
「……もしかして、人間の?」
「その通り。人間の変化した化け物ですよ。もし、ここがマナ濃度の異常が発生した場所で、このヒトケモノがその発露だとしたら……」
「なるほどね」
 アンナは肩をすくめると「あんた良い仕事をしてるわね」と言った。
「おい、ジョシュ坊」
「何です? ガンニック君」
 今度はガンニックが、数枚の紙をベラベラと繰りながら言う。
「ここに出てるヴァレオンてノヴァラ族の男のことなんだけどよぉ……」
「一応、機密を偶然見てしまっただけの立場いる、ということをお忘れなく」
「あぁ、すまねぇ。ヴァレオンてヤツの名前がチラと見えたんだがよ……」
 口調だけ変えて、手は相変わらず紙を繰っているガンニックに眉根をしかめながら、ジョシュは言う。
「放浪の剣客にして妖刀“ムラサワ”の使い手。オルグ殺しのヴァレオン。確かに、今さっきまでココにいましたね」
「やっぱりそうか!」
「えぇ、彼は愛刀にまつわる因縁によって、方々のオルグを殺して回っているとあります。彼に関する冒険物語もいくつか聞いたことがありますよ。『人食いの名刀を鞘に収め続けるために、人の変じた化け物を切り続ける男』ということらしいです」
「てぇことは、俺達もあいつの物語に出てこれるってことか?」
「そうですねぇ、今度の物語の冒頭は飾れるでしょうね。『ヴァレオンは都市に出てきたは良いが、刀を収めるために必要なモンスターの類が見当たらないことに気が付いた。彼は、貧民街の奥地にある貧民窟には斬るべき獣がいるという噂を耳にして、小うるさく卑屈な乞食男に導かれながら、貧民窟へと足を踏み入れたのだった』という所でしょうか」
 その語り口を聞いて、ガンニックは眉をひそめた。
「何だ、そのひどい言われようは」
「先ほどのガンニック君の言動を見る限り、この扱いが限界だと思いますよ」
 そこまでジョシュがそこまで言うと、三人はほぼ同時に「ハァ」とため息をついた。
「結局、あたし達は物語には参加できないわけね」
「そう言うことでしょうね」
「ケッ、何だかクサクサする話だぜ」
 ガンニックはそう言うと、金の入った袋の口を開け、高額紙幣と低額紙幣を一枚だけすり替えた。
「まぁ、こういう時はコレだな?」
 高額紙幣を器に見立てて、ガンニックは酒を飲む仕草をして見せる。
「あたしは賛成よ」
「ぼくも異存はありませんね」
 三人言い合うと、手近な扉を開けて中へ入って行った。
 貧民窟の道は、遠くが近く、近くが遠い。
 程なくして、三人は酒場にて酒を手に取り、それぞれの話を始めたのだった。
 他の誰が物語ることもない話ではあるが。


 宿に押し入り、客にたかって飢を凌ぐ
 時折ギルドに寄り、情報を売って施しを受ける
 方々移り住むも、住みかは常にあばら家ばかり
 吹き荒れる悲風に身を晒し、積もり積もったゴミの中に没して眠る
 今日も飢に身を裂かれる度に、この身の不幸の理由(ワケ)を聞きたくなる
 なぁ、誰か俺の話を聞いてくれよ
   ――ガンニック・バードが物乞いの時に歌った詩


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