『Passage of StrayDog』――第一章『Stray Dog』

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第1話


 西暦200X年夏、中東某所にて――。

 視界いっぱいに、フラッシュが瞬いている。
 ここはハリウッドか?
 馬鹿言うな。砂漠のど真ん中で、殺意を込めてフラッシュを炊くクサれカメラマンなど地獄に堕ちろだ。

 そんな事を思っている間にも、砂煙を引き裂き、閃光の元から飛翔した物が、辺りかまわず跳ね回っている。なめやがって! 5O口径のボルトハンドルを跳ね上げ、そのまま後ろに引いて空薬莢を排出。
 悲しくなる程容量の少ない弾倉から、四発目を再装填しようとした時、それは見えた――

 光学照準器の中で、砂漠地帯に相応しいゆったりした服を着込んだ人物が、肩に担いでいた物から“それ”をぶっ放す。
 それは、次第に大きくなりつつレンズの端へと姿を消した。

 このまま行けば、既に前輪とエンジンの一部を吹っ飛ばされたスクラップ――即ち、壊れた四輪駆動車のボディに一秒程でそれは到達するはずだ。
 遮蔽物でしかない車体の陰で、実際には俺の顔は引き吊っているのだろう。だが頭は冷静に状況を理解している――

 つまり、俺はこの砂漠で死ぬしかない。
 俺の手が四発目を装填し、ボルトを閉じたのと同じタイミングで、視界が光で満たされ――

 *

 第一章『Stray Dog』

 そこがどこであろうと
 誰から食い扶ちを得ようとも
 そこはロクでもない所に違いは無い

 ――野良犬の呟き

 *

 唐突に降りだした雨に、通りを行く人々は口々に悪態を吐きつつ、めいめい雨から逃れるべく急ぐ。そんな中、酒瓶を抱えフラフラと危なっかしい足どりで、近くの軒下に逃れようとしていた物乞いの男がぬかるみに足を捕られて転んだ。
「う〜、畜生めぃ……あ〜待てってば!」
 どうやら酔っ払っているらしい。
 抱えていた酒瓶が、石畳の上をころころと転がっていく。呻きながらも必死にそれを拾おうと手を伸ばすが、物乞いの動きは鈍く、瓶との距離は開くばかりだ。
「ま、待てよぅ、お前まで俺を置いてくのかぁ? ヒック――お?」
 転がって行く酒瓶が、なにかにぶつかって止まった。手を伸ばそうとしたが、それは上から降りてきた誰かの手に広い上げられる。
 物乞いが仰ぎ見ると、この地方にはそぐわない、デザートケープを頭からスッポリと被った人物が、酒瓶を手に佇んでいるではないか……酒瓶を持った筋肉質な腕と、フードから無精髭に覆われた顎が覗いている事から、この人物が男である事を告げている。
「す、すんません旦那。うっかり足をすべらせちまって……」
 モゴモゴと謝罪を口にする物乞いだが、男はその間、フードの奥から物乞いを見下ろしていた。なんら感情の色を瞳に浮かべずに……いたたまれなくなったのか、物乞いはへッと平伏し、そのまま黙ってしまった。
 普通の人間が物乞いを相手にする時は、施しを与えるか危害を加えるかの、どちらかと相場が決まっている。今の状況で、前者は有りえ無いであろう……
 だが物乞いの予想を裏切り、男は酒瓶を這いつくばった物乞いの前に置くと、雨に打たれるのも構わず、軒下から路地裏へと歩み去った。
「へへぇ〜、ありがたやありがたやありがたや……」
 物乞いは立ち去る男の背に向かって、土下座したまま念仏のように繰り返した。
 僅かに顔を上げ、男が去った事を確認すると、先程まで男が立っていた軒下に入り込み、酒瓶のキャップを開けてグイッと煽った。不意に、力強い手が酒瓶を持つ腕を掴んだ。立て続けに入った邪魔に、物乞いは顔をしかめて抗議する。
「なにしやがんだ! 乞食だと思って馬鹿に――」
 そこで、言葉が途切れる。
 物乞いは顔を引き吊らせ、己の腕を掴んでいる“そいつ”を見つめた。その顔色がおぞましさによって、青ざめるのにさして時間はかからなかった。

 それは人の形をしているが、明らかに人ではない。
 衣服をまとっておらず、皮膚は青白く、なんとも形容し難い奇妙な匂いを発している。
 のっぺりした顔付きに、瞳の無い赤いガラス玉のような目を光らせ、下顎からはやけに発達した犬歯が、唇を押し退けて尖端を覗かせている。体格はひょろりとして頼りないが――掴んでいる手は万力のような力で締め付けてくる。
 そしてなにより、頭髪の全く生えていない頭頂から、一組の角が生えている事が、人外の存在である事を雄弁に物語っていた。
「な、なんだおめぇは!?」
 物乞いが裏返った悲鳴を吐き出したのが、恐怖による物だということを理解したのか、それは口角を吊り上げ嘲笑った――
「ぅわああああああ、助けてくれぇっ!!」
 必死の懇願が、貧民街の一角に木霊した。
 物乞いは逃れようと必死にもがき、腕を振り回して暴れたが、いっかなそれが掴む力は緩まない。それは荒々しく物乞いを抱きすくめると、露となった首筋に牙を立てた。
「ぎゃあああああぁぁぁぁぁ――」
 雨でぬかるんだ地面に、赤い物が流れていく。それが水溜りと混じって大きく広がるにつれ、物乞いの絶叫も次第にか細くなって行き――
「…………」
 物乞いの体は沈黙した後、一度だけビクリと震え、だらりと四肢が垂れた。
 今やただの肉塊となった物乞いの体は、人外の存在に咀嚼される度に揺れ動くだけだ。うなり声を漏らしながら、死者の肉を食む化生の背後で、大きく水が跳ねる音が響く。

 バッと怪物が振り返ると、デザートケープに身を包んだ人影が、雨のカーテンのむこうで亡霊の如く佇んでいた――どうやら先程の悲鳴を聞きつけて戻ってきたらしい。
 鋭く一声咆えると、怪物は死体を放り出して新たな獲物に駆け出している。うなりをほとばしらせ一気に距離を詰めた化け物は、ナイフのように鋭い爪を、デザートケープを被った獲物の首めがけて打ち振るう――
 薄汚れた布切れが宙を舞い――
「プギャッ!!?」
 怪物の喉から無様な悲鳴が漏れた一拍後、怪物の体は泥濘を盛大に巻き上げて地に叩きつけられた。もがく怪物の右目には、いつの間にか短剣の柄が生えている。
 スローイングダガーを投じた張本人――今やフードが裂け、二十代半ばと思しき素顔を晒した男は、ボサボサの黒髪と浅黒い肌を雨に晒しつつ、立っていた場所から横へ一歩ずれた位置に移っていた。
 男は路傍の石ころでも見るかのように、怪物に目を向けている。怪物は残り一つとなった目で、今や自らの生命を脅かす存在となった男を睨みつけ、怒りの咆哮を上げた。
 激情に駆られるままに爪を振り上げ再度男に挑みかかる。今度は男も動き出す。だが猛烈な勢いで迫り来る怪物に対し、男はただ悠然と歩くのみだ。
 男と怪物の距離がゼロになった瞬間――怪物の爪は振り下ろされ、確かに肉をえぐるはずであった。
 だが男が振るった左腕は怪物の速度を易々と上回り、怪物が振るう腕の内側に差し込んで弾く。その結果、怪物の腕の軌道は逸れ、何もない空間を切り裂くだけとなった。
 だが男の腕は一撃を弾いただけに留まらず、そのまま伸びた。
 それは怪物の首にラリアットを見舞う形となる。突っ込んでくる怪物自らの勢いによって衝撃が増し、無残にも頸骨が砕ける音が雨の下でも明確に響いた。怪物の口からは盛大に鮮血が吹き上がった。
 男は頬に着いた返り血にも表情を変えず、血塗れのナイフをデザートケープで拭うと懐に収め、気を落ち着けるように大きく息を吐いた。頭を巡らし街路に転がっているもう一つの亡骸を見遣る――この化け物の餌食となった物乞いだった。


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