『Passage of StrayDog』――第一章『Stray Dog』

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第7話


 階段を駆け上がり、なおも立ち塞がるヒトケモノどもを退けて進む一向は、いつしか貧民窟を抜けていたらしい。
 貧民窟はジャン・バッハの地下に存在する混沌の迷宮であり、規則的に作られた通路と階段の配置は、貧民窟に当てはまる物ではない。
 手近にあるかつて窓だった部分から、外が伺い知れた。まずクザンの目に飛び込んで来たのは巨大な満月だった。煌々と輝く月は、営みの光がほとんど絶えたジャン・バッハの街並みを、持つ者も持たざる者の別なく、優しく照らしている。
「ここは“龍巣砦”じゃな。街の西まで来てしもうたらしい」
 ワンも窓に打ち付けられた板の隙間から外を覗き込み、ざっと現在位置を確かめた。
 クザンはまだジャンバッハの地理に不慣れなため、ここがどこか分からなかったが、ひとまず市街に出れたことに安堵した。万が一、態勢を立て直す状況に陥っても、ここからならアンナの店にたどり着けるだろう。
 ……無事にたどり着ければだが。
 だが、今はそんな事を考える場合ではない。殿(しんがり)を務めていたヴァレオンも外の様子を見て、どこか焦りを滲ませた口調で先に進むのを促した。
「だいぶ時間がかかってしまったな。速く……アンナを助けだそう!」
「…………?」
 その口調から、微妙な違和感を感じたクザンは、チラとヴァレオンの表情を伺った。どうしたんだろうか? あの犬を倒してから、やけに焦り気味だが――
 しかし、それ以上は詮索のしようが無い。直接彼に訪ねれば、答えを聞かせてくれるかもしれないが……まぁ、必要な時がくれば奴から喋るだろう。
 クザンがそう思っている内に、ガチャリと鎧を震わせ、血塗れの太刀をぶら下げたヴァレオンは確かな足取りで先に進む。
 自分が気付いた以上、ワンも気付いたはずだが――しかし、彼が何も詮索しなかったことにクザンは密かに安堵した。とりあえず、それ以上考えるのを止め、ワンに続いて通路を進むことにした。
 ドアは乱暴に蹴破られた。部屋に雪崩込んだ三人は、いつでも攻撃出来るように身構える。
『……』
 それぞれが緊張を孕んだ面持ちで、室内を警戒する。だが薄暗い龍巣砦の最上階――主寝室には、ヒトケモノも他の生物の気配を感じることは無かった。埃を被った調度品や家具も、姿を隠せる程の死角が無い……
 いや、違う。
 部屋の隅に置かれた、天蓋付きの巨大なベッドに横たわる者が一人居る。
「アンナさん!?」
 ワンがその名を口にする。
 連れ去られたアンナ・ディアナ嬢が、身じろぎせず静かに横たわっていた。生きているのか? 死んでいるのか? ここからでは分からない……
 接近しようと思ったクザンだが、それよりも早くワンは駆け出していた。その動きは、アンナに気をとられて周囲の警戒を疎かにしている。
「待っ――クソ! ヴァレオン、ドアを守ってくれ」
 それだけ言うと、クザンはワンを援護すべく後を追った。
「アンナさんや、目を覚ましてくれぃ!」
 そう言ってワンは横たわるアンナを揺すった。追い付いたクザンも周囲を油断無く警戒しつつ、安否を気遣う。
「どうだ、生きてるか?」
「うむぅ、分からん……ちゃんと息をしておるし、心臓も動いておるようじゃが――おや?」
「どうした?」
「おおっ! 気が付いたか、アンナさん」
 周囲の警戒を続けるクザンは、あまり長い間眺めることは出来ないが、ワンの一言で目を向けたところ、アンナは上半身を起こして、虚ろな眼差しでワンを見詰めていた。良かった、無事らしい。
 ひとまず安心したクザンは、再び周囲を警戒すべく、視線を戻した。
「アンナさん、ワシらが来たからにはもう安心じゃ。今すぐ動かなきゃならんが、あんたを連れ去った奴は、まだ近くに居るんかの――っ!?」
「どうした、じいさん?」
「…………」
 急に言葉を詰まらせたワンを不信に思ったクザンだが、返事が返ってこない。
 ただ、ギシ……ギシ……という、聞きなれぬ物音が聞こえた。
「おい――」
 妙だな。
 そう思って二人に視線を移したクザンは、思わず目を見開くこととなった。
 ……ワンが、宙吊りになっていた。喉首を骨が軋む程の強さで掴み上げられ、顔は既に青白く変色しきっている。そして、絞殺しかねない程の力で掴み上げているのは他でもない、ベッドから起き上がったアンナ・ディアナだ。
「じいさんっ!」
 叫びを上げ、クザンが解放しようと駆け寄る。アンナの腕にしがみ付いたが、とても女と思えぬ力の入り様ににたじろいだ。
 鍛え上げられたクザンの力を持ってしても、引き剥がすことが出来ない! どうなっているんだ!?
(クソっ、仕方ない!!)
 意を決したクザンは、荒っぽい手を使うことにした。
 依然、ワンの首を締め上げているアンナの手を離し、ワンとアンナの間に素早く体を滑り込ませ、ショットガンの銃把をアンナのみぞおちに叩き込んだ。肉を打つ鈍い音が響き、アンナの体はくの字に折れたが、すぐに立ち直ると掴んでいたワンをクザンに叩き付けた。
 女の片腕でありながら、まるで巨人に払われたかのような勢いでぶっ飛ばされた二人は、助けに入ろうと駆けよって来たヴァレオンに激突して止まった。
 くそ、なんて力だ、あれは本当にアンナなのか!? 顔をしかめながらクザンは立ち上がろうとして――
「どうだね? 俗に言うドッキリというものだが、気に入っていただけたかね?」
 不意の第三者の声に、クザンとヴァレオンは飛び起きた。
 見れば、部屋にあった安楽椅子に、見知らぬ男が腰かけているではないか。その姿を認めたクザンの動きは速かった。
 速さを求めたため、腰だめでショットガンを発砲。放たれたダブルオー・バック弾は、椅子の背もたれを粉砕した。背もたれだけを――。
 その光景に目を見張ったクザンは、背中に猛烈な衝撃を受けて派手にもんどり打ち、ショットガンを手放してしまった。
 その様子を視界の端に捉えたヴァレオンが動く。太刀を閃かせ、振り返りつつ必殺の一撃を切り上げた。だが刃は敵に届いていない、防がれたのだ。
「貴様は……っ!?」
 敵の顔を間近で目撃したヴァレオンの口から、呻きが漏れ出た。
「やぁヴァレオン殿、待ちくたびれたよ」
 その男の彫りの深い顔立ちが、嘲りの笑みを形作った。その笑みから追撃を予測し、それより速く斬り捨てるべく、太刀を引き戻したが、間に合わなかった。
「うぐっ!」
 苦鳴とともに、ヴァレオンの鎧が火花を散らす。致命傷ではないが、彼の体勢は大きく崩れ、隙だらけになっている。
 とどめの一撃を振り降ろそうとした男だが、連続した鋭い蹴りと、鈍い銃声に阻まれた。
「ワシらを忘れるでないわ!」
 立ち直ったワンとクザンだ。人間なら即死しかねない程の蹴りと、45口径から放たれたホローポイント弾は確かに敵を捉え、鮮血を散らして男は倒れたかに見えたが――
「くっくっく、ここまで辿り着いただけのことはある。見事と言わざるをえんよ」
 その声はクザンの背後から聞こえたのだ。不可解な敵の存在に、三人は身構えた。
 男が一歩踏み出したので、薄暗い部屋のなかでも距離が近くなったせいで、男の詳しい風体が明らかになった。
 長い黒髪を後ろに撫で付け、仕立ての良いタキシードの上にインバネスを羽織るという、絵に描いたような紳士風の中年男だ。
 だが、どこにも負傷の跡がない。銃創も、出血も――どこにも見当たらない。薄暗い闇の中でもハッキリと分かる程、蒼白い顔に不気味な笑みを浮かべて口を開いた。
「ようこそ、我が居城へ。私の名はアルカディ・ノスフェラトゥ。ヒュマンのお二方にはお初目にかかる」
 非の打ち所の無い見事な動作で一礼。だがそんなノスフェラトゥの能書きを無視し、既にヴァレオンは疾風の如く駆け出している。
「止せ、ヴァレオン!」
 クザンが制止するのも間に合わず、既にヴァレオンはノスフェラトゥに太刀を振り下ろしたが、その間にスッとアンナが立ち塞がった。
 太刀はアンナごとまっ二つ――となる前に、刀身を狙ってクザンは45口径を発砲、弾丸は刀身に当たり、強引に刃の軌道を逸らした。
「邪魔をするな!」
 あわや凶行に及ぶところだったにも関わらず、ヴァレオンは憤怒の形相で怒鳴った。
 しかし、クザンはそんなヴァレオンの怒りを気にも留めず、首に腕を巻き付けて引き戻し、おもむろに焼けた銃口をヴァレオンのこめかみに押し付けた。
「止めておけ。さもなきゃお前を殺す」
 まったく感情のこもらない、クザンの一言がヴァレオンの耳朶を打つ。
 熱した銃口に皮膚を焼かれ、ヴァレオンは一瞬体を引き吊らせたが、冷静さを取り戻したらしく、それ以上抵抗することは無かった。
 そんな二人のやりとりに、ノスフェラトゥは哄笑を向ける。
「はっはっはっはっは! なんとも滑稽だな! 助ける者が目の前に居るというのに、仲間割れとは――
 クククッ、ヒュマンの方よ、彼にとって我が下僕のことなど、どうでも良いのだよ」
 嘲笑しつつ、後ろからアンナを抱きすくめてノスフェラトゥは語る。
「大方、この女を助けに来た、というのが目的だろうが、彼の目的はそうではない。君が欲しいのは、この“鞘”だろう?」
 そう言ってノスフェラトゥは、どこからとも無く、深い反りを持つ鞘を取り出した。
 それを目にしたヴァレオンは、ハっと体を強張らせると、忌々しげに顔を歪ませる。
「ヒュマンの方。その男はな、見栄を張るばかりに、一族と妻が住む集落に魔獣の群れを招き寄せたのだ。その刀を使ってな!」
 どういうことだ?
 クザンは目で問いかけると、ヴァレオンは歯を噛み締めて黙っていたが、やがて絞り出すような口調で語り出した。
「ああ、奴の言う通りだ。私はかつて武勇の証として、この呪われた太刀を受け取った。あの男自身からな! 浅はかだったよ……この太刀が呪われた業物であることに、私は気付かなかった――」
「そして魔獣の血に餓えた妖刀は、血の香りで魔獣を誘い出し、村の大半が壊滅し、愛する妻をも失ったとさ――ヒッヒッヒッヒッヒ!」
 血を吐くような述介に、ノスフェラトゥは耳障りな高笑いであしらった。
「そうだ、ヴァレオン殿。君の妖刀――ムラサワの鞘はここにある。その刀が発する血の香りを断てるのは、この鞘しかない! そしてもう一つ……」
 一旦言葉を切り、アンナの肢体に愛撫を加えつつ、今度はワンに目を向けて切り出す。


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