『Passage of StrayDog』――第一章『Stray Dog』

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第8話


「ワン殿、君の友人は我が下僕になっているが、完全にグール化するにはしばし時間がある。その間に、彼女を楽にしてあげたまえ。女性が朽ちていく様子は、私から見ても不快なものだ」
 この言葉を理解したのだろうか――アンナの目から涙が筋を曳く。その涙を、ノスフェラトゥは悪意に染まった笑みを浮かべながら、蛇のような細長い舌で舐めとる。
 それを目にしたクザンは、即座に引き金を引きたい衝動に駆られたが、名指しされたワンがまったく無反応な事に疑問を抱き、思い止まってしまった。
 反応を示さないワンを、面白くもないと言わんばかりに鼻白むと、今度はクザンに目を向けたノスフェラトゥは、首を傾げて困った顔付きをした。
「さて、残るはヒュマンの方だが……君の事を私はよく知る暇がなかったので、なんの催し物も用意することも出来なかったが――」
「気にするな」
 一度だけ引き金を引く。
 素っ気ない返答に連なった鈍い銃声――放たれた弾丸は、アンナの肩から覗いていたノスフェラトゥの額から侵入、血と脳漿の破片を盛大に撒き散らし、後頭部側から飛び出した。
「お前が俺の名を知ろうが、胸くそ悪い出し物を用意しようが関係無い。お前は殺す」
「――くっ、ファルネースに迷い出た汚れめが! やれ!」
 跳ね起きたノスフェラトゥが、額に空いた醜い銃創も露に、憤怒に駆られ長い八重歯を覗かせる。
 その言葉に、夢遊病然とした足取りで、アンナがこちらに迫る。戦線布告だ――ワンとヴァレオンも動く。
「ワシに任せてもらおう、手を出すな」
 そう呟くや否や、ワンはアンナに向かって駆け出した。
 依然涙を流したままのアンナは、涙とは裏腹にナイフを手にしてワンを斬りつける。その動きはアンナの腕が霞んで見える程だ。次々と繰り出される刃の嵐だが、ワンは体に刻まれる傷の痛みを無視して、さらにアンナとの間合いを詰める。
 とうとう二人の距離が腕の長さ一つ分に達した時、アンナはワンの心臓目がけ、刺突を加えた。
 だが、刃はワンの掌を貫いて止まる。
「ぬんっ!」
 短い気合いと共に、ワンは掌底を形作った片方の手をアンナの体に打ち込んだ。
 瞬間、掌とアンナの間に眩い電光が走り、アンナは大きく身体を仰け反らせ、そして糸の切れた操り人形のように倒れ込もうとしたが――
「アンナさんは大丈夫じゃ。安全な所に運んでおくから、二人で片付けておきなさい」
 アンナの身体を抱き抱えたワンは、そのまま部屋を駆け出していった。これで目の前の敵に集中できる。
 クザンとヴァレオンは、そのままノスフェラトゥを相手どる。横についたヴァレオンが、柄の握り具合を確かめつつ口を開いた。
「クザン、奴の力も速さも人間のそれを大きく上回る……君達の世界では“ヴァンパイア”という存在のそれだ。だが奴の動きに慣れれば、なんとかなるだろう、援護を頼む」
「銀の弾丸でも、持ってくれば良かったな」
 クザンなりの冗談を尻目に、雄叫びを上げてヴァレオンはノスフェラトゥに斬りかかった。ノスフェラトゥもまた、指先から鈎爪を生やし、ヴァレオンの重い斬撃を捌いていく。
 途中ショットガンを拾い上げ、クザンもまたノスフェラトゥに向かう。援護を頼まれたものの、目まぐるしく立ち回る片方を狙い撃つのは難しい。
 ならば、こちらも接近戦を挑むまでだ! この距離ではショットガンは使い辛い、そのまま背中のケースに突っ込み、サバイバルナイフを逆手に抜いてヴァレオンの後に続く。太刀と鈎爪は目まぐるしく打ち合わされる。
 そのたびに火花が生じ、どちらも押しては引き、引いては押し合う。
 そんな死の舞踏に恐れを見せず、クザンは果敢に踏み込んだ。ヴァレオンが振るう太刀のように長い間合いは無いが、決して銃だけが特技ではない。
 短い気合いの叫びを発し、斬撃と打撃を織り混ぜた連続技を放つ。この介入により、互角の戦いだったヴァレオンとノスフェラトゥだが、一気にノスフェラトゥを後退させた。
 闇夜の覇者と目される吸血鬼の顔が、焦燥感に強張って行く――
 掌底、回し蹴り、横凪ぎ、裏拳、突き降ろし、足払い、切り上げ――こちらは奴の動きを阻むような攻撃を織り込み、ヴァレオンが太刀を振るい易くしてやる。ノスフェラトゥの顔が次第に苦々しげに歪んでいくのに対し、二人の勢いは更に増し――
「カァァァァッ! しゃらくさいぞ、虫けらどもがああああああああああああああッ!!」
「うお――っ!?」
「クザン!」
 ヴァレオンの悲鳴が聞こえた。
 また消えた……いつの間にかクザンは喉首を掴まれ、禍々しい表情を浮かべたノスフェラトゥにより、壁に押し付けられていた。
 奴が、ニタリと気味の悪い笑みを浮かべて訪ねる。
「つねづね疑問に思っていたことがある。君達ヒュマンは空を飛べるかね?」
「くそったれ――」
 わずか先の状況を予測したクザンは、悪態を吐くことしか出来なかった。
 視界の端に、駆け寄るヴァレオンの姿が映ったが、間に合わない。ミシリと言う音が聞こえたかと思うと、クザンの体は壁を押し破り、ジャン・バッハの虚空へと投げ出された。
「…………!」
 絶叫が漏れると思ったが、自身の喉はなにか詰め物でもされたかのように、なにも発することは無かった。
 だがいつまでもフリーフォールを体感している場合ではない。ピストルベルトに取り付けられたポーチから、先端にアンカーの付いたバトンを手にした。彼の手のより少し長さがある“それ”のボタンを押すと、圧搾空気の漏れる音と共にアンカーは単結晶繊維のワイヤーを曳いて飛び出し、龍巣砦の外壁に引っかかった。
 ガクンっ! と落下が止まり、その衝撃に手首が抜けてしまうのではないか? とクザンは顔をしかめた。
「くっ……!」
 呻きが漏れ、上を見上げる。だいぶ下まで落ちてしまったらしい――急いで上に戻らなければ。
 腕の力で体を引き上げ、同じくベルトに取り付けられた、ワイヤーの巻き上げ機にロッドを取り付けようとした時だった。凄まじい爆音が響き、クザンが落ちた主寝室のある最上階が、破片と化してジャン・バッハにまき散らされたのだ。
 そんな破片の中に、クザンは一つ、金属の輝きを見た――
「クソっ! いったいなんなんだ!?」
 喚きながらも、クザンは破片から身を庇いつつ、ワイヤーを逆に繰り出した。こうなっては上に戻っても仕方ない。地上へ急ぎつつ、クザンは白銀のサムライの身を案じるしかなかった。
 地面に激突した凄まじい衝撃に、ヴァレオンは息を詰まらせた。
 彼の着ている鎧がミスリルの甲冑でなければ、今頃せんべいのように潰れてしまっていただろう。だが、どちらにしろ窮地を脱したわけではない。むしろ、万事休すといった状態だ。
 バサリ、と羽音が聞こえると、横たわるヴァレオンの視界に、ノスフェラトゥが舞降りた。傷らしい傷が見当たらず、否の打ちどころの無い紳士風の出で立ちに加え、その手には村澤が握られていた。
 太刀を軽く振るって、ノスフェラトゥは気軽な口調で説明し出した。
「ヴァレオン殿、君は気付かなかったのかね? この吸血刀――喰骸村澤(クガイムラサワ)は、生き血に含まれる豊潤なマナをすすり、所有者の生命力へと換える。だが私は不死者の王たる吸血鬼だぞ? 一介の人間が、アンデッドから生命力を獲ようとするとどうなるか、君は知らなかったのかね?」
 クザンが落下した直後の隙を突き、ようやく一太刀浴びせることが出来たのだが、妖刀はこれまでと異なる物――即ち、アンデッドの障気を主に送り込んでしまったのだ。
 その結果、ヴァレオンの手足は凍りついたかのように冷たく強張り、激しい嘔吐感と目眩にさらされ、身動き出来ない状態に陥った。
 霧が立ち込めた思考を奮い立たせ、なんとか四肢を奮い立たせようとした――いや、もう間に合わない。
 ノスフェラトゥはヴァレオンの頭をガッチリと掴むと、体格差を物ともせず引き上げた。
 露わになったヴァレオンの喉元に切っ先を当て、玩具に飽きた子供のような口調で別れを告げた。
「もう少し楽しみたかったのだが、どうやら君はここまでのようだ。これ以上引き伸ばしては、我が同志の計画に差し障るのでね。マナに還る時が来たよ、ヴァレオン殿」
 自らの決定的な死を悟ったヴァレオンは顔を引き吊らせたが、身体の自由は未だ取り戻すことが出来なかった。はやる心とは裏腹に、手足はノロノロと鈍い反応しか返さなかったが――
「ワシを忘れて貰っては困るのうっ!」
 威勢の良い声を耳にした瞬間、ヴァレオンの身体は解放された。何が起きたのか? 霞む視界の中で映った光景に、ヴァレオンは思わず息を呑んだ。
 ノスフェラトゥは信じられないと言った面持ちで、自らの心臓を貫いている鉄の棒を見下すと、ヨロヨロと後退った。
「き、貴様……!」
 不意の襲撃を受けたノスフェラトゥは、振り返ると凶器を突き立てたワンの姿を見つけ、赫努に顔を歪めた。胸に突き刺さった鉄棒を抜こうともせず、一方の手を掲げて魔法を唱えようとしたが――
 銃声と共にその腕は千切れ飛んだ。再び銃声が轟き、ごく近距離で発射されたダブルオーバック弾により、ノスフェラトゥの両脚は撃ち抜かれた。
 間に合った! 苦労してここまで走り続けたクザンは、追撃の手を緩めずポンプを操作し、弾倉内に残り最後となった二発の散弾をノスフェラトゥに叩き込み、体をズタズタに引き裂いてやった。
「ヴァレオン!」
 左手で太ももに吊したサバイバルナイフを引き抜き、ヴァレオンの目の前に投げる。
 この意味を理解したヴァレオンは、その目に闘志を燃え上がらせ、大振りなサバイバルナイフを手にし、唸りをあげてノスフェラトゥの頭に刀身の根元まで突き立てた。
「く――しぃ……!」
 意味不明の呟きが、ノスフェラトゥの口から漏れたが、さしもの不死者の王も、急所を同時に潰されては、どうしようもない。
 だが奴の身体は死の拘束からしぶとく逃れようと、再び倒れ込んだヴァレオンに一矢報いるべく鈎爪を伸ばそうとしたが――
「いい加減しつこいんだよ」
 うんざりした口調でクザンは言い捨てると、だらだらと血を垂れ流すノスフェラトゥの口に、手にしていた金属の筒を押し込んだ。
 小さなレバーが跳ね飛んだのと同時に、ノスフェラトゥの体を蹴飛ばす。その体が地面に倒れ伏すと同時に、内側から焼夷手榴弾が炸裂した。四千℃以上の化学反応で生じた炎によって、一気に肉体を焼き尽くした。

 ……しばらくの間、誰も口を開かなかった。黙然と目の前の炭化した小さな塊を見下ろしていたが、やがてワン老人が爪先で小突くと、かつて敵だった存在はパラパラと崩れ落ち、どこからともなく吹いたそよ風に乗り、跡形も無く消え去った。
 残されたのは、マナストーンのあしらわれた、鉄拵えの鞘が一つ。他人が側にいるのもはばからず、ノヴァラの戦士はその鞘を手に、心の底から涙を流した。
 彼もまた、自らを縛り付ける呪縛から解放されたらしい……ゆっくりと顔を覗かせた太陽から、眩しげに目をすがめつつ、クザンは深々と溜め息を吐いた。
 アンナ、ガンニック、ジョシュ、ワン――それぞれに借りを返すことが出来たようだ。
 自分もいつか、彼のように気前よく涙を流すことがあるだろうか?
 ……無いだろう。自嘲を交えて、クザンは首を振った。こんな突拍子もない世界に放り込まれてなお、自分は戦いに身を置いている。これでは親しい人間関係を築くことなど望むべくもない……戦いから抜け出す術もない。
 だが今は、共に戦ったこいつらを、親しい仲間の下へ無事に送り届けてやろう。


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