『Passage of StrayDog』――第一章『Stray Dog』

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第4話


 三日が過ぎた。
 その間、クザンはベッドの上で過ごす他無く、すっかり陰々鬱々と塞ぎ込んでいた。アンナにも仕事があるので、いつも一緒に居てくれる訳ではない。
 昼前には飯を作ってくれたり話相手になってくれるが、それ以外はワン老人しか相手が居ない。もっとも、ワンはこの三日間まったく顔を出さなかったが……
 これが余計にクザンの気持ちをやるせない物にした。
 そして今日も――
「誰だ」
 かろうじて立ち歩くことが出来る程度に回復したクザンは、まどの向こうで沈みかけている太陽を見遣りつつ、ドアをノックした者に誰何する。
「ワシじゃよ」
 応じたワンはそのまま返事を待たず、部屋に入って来た。その姿に顔をしかめると、クザンはことさら物憂げな態度を装い、無愛想に切り出す。
「何の用だ? 冷やかしなら帰れ」
 一方ワンは、どこか焦りを滲ませた口調で応じた。
「ばかもん、冷やかしとる暇などないわ。ガンニック、渡してやれ」
「……ん?」
 ワンの一言にいぶかしげな表情を浮かべたクザンだが、ワンの陰に誰かが隠れているのを認め、目をすがめた。具体的に言えば、その人物はワンの陰に隠れてはいない。
 というのも、小柄なワンよりも更に背は低い代わりに横幅が広いので、ビア樽がワンの背後にあるように見えなくもなかった。
 そろりとワンの背後から目だけを覗かせたそいつはクザンと目が合うと、短い悲鳴を発してさらにワンの背後に隠れようとする。
「……なんだ、そいつは?」
「おう、お前さんの命の恩人じゃよ」
 なにやら面倒臭い奴が来たらしい――
 さらにワンに促され、おずおずとそいつが前に出てきた。まず目に着いたのは、そいつがなんとも独特な体格をしていることだった。ワンの背後にいた時から変わった体格をしていると思ったが、全体的な骨格はゴツい割りに短い。身長も一メートルに届いていないだろう。
 だが身長を度外視すれば、四肢の太さはクザンと同じかそれ以上ありそうである。
 そして垢じみた顔を見ると、なんとも貧相な顔付きをしている――その男を表現するなら、さしずめ“髭無しドワーフの物乞い”といった風情がぴったり来るだろう。
「なんなんだ、お前は?」
 軽い溜め息と共に、クザンは訪ねた。
 この言葉を聞いた“髭無しドワーフの物乞い”――ガンニックは卑屈な笑みを浮かべて名乗る。
「へへっ、お初目にかかりやす旦那。あっしの名はガンニック・バード、一見しがない乞食に見えやすが、ジャン・バッハのベガーギルドに身を置いておりやす」
「ベガーギルド?」
 初めて聞く名称に、クザンは僅かながら興味を覚えた。退屈し切っていたのが、自身が思っている以上に好奇心を刺激しているらしい。
「へい、“物乞い組合”とは言ってもただの物貰いの集まりじゃありやせん。あっしらは街の皆々様から施しを受ける代わりに、最新にして最高の情報をご提供しやす」
 なるほど、といった表情でクザンは頷く。要はアンダーグラウンドにおける情報組織なのだろう。
 実際、ベガーギルドは情報を売る相手に盗賊ギルドや賞金稼ぎギルド、マフィア紛いの商人や警察機構を得意先としていた――
 ともかく、ガンニックなる人物は風体こそいかがわしいが、ちゃんと己を紹介したのだ。
 片やクザンもここに飛ばされるまで、非公式身分ながら“カンパニー”の仕事に従事していたことから、ガンニックには親近感とまではいかないが、ごく近い感情を抱いた。
「俺はトーマス・クザン……流れ者だ」
 他に説明のしようが無いので、クザンはごく短く名乗った。この言葉を聞いたガンニックは、途端に顔を綻ばせ、饒舌に語り始めた。
「へへぇ、以後お見知りおきくだせぇ。しっかし旦那、今やベガーギルドは旦那の話で持ちきりですぜ! なんたって巷を騒がすヒトケモノを一捻りにカタしちまう、しかもあっしらみたいな乞食を助けようとしてくれたんだから、立派な御仁に間違いねぇっ!」
「そ、そうか……」
 ガンニックの過剰な持ち上げっぷりに引きつつも、とりあえず相づちを返しておいた。
 なんなんだこいつは? と、再びワンを見やると肩をすくめて返されてしまった。そうこうしている間にも、ガンニックはさらにクザンを持ち上げ過大な賞賛を口にして忙しない。
「いや、もうホント、旦那ってば――」
「ガンニックや、急がねばならんぞ」
 いい加減、長口舌に飽きたのか、ワンは話を遮ってガンニックに本題に入らせた。
「おっと、いけねぇ。クザンの旦那、こいつは旦那の持ち物でしょう?」
「――おおっ!」
 ずだ袋から取り出された物を目にしたクザンは、思わず感嘆の叫びを漏らした。ガンニックが取り出したのは、キンバー・ウォリアーだ。
 ワンとの戦いの最中に失い、手元に戻るまいと思い込んでいたクザンの拳銃である。ガンニックから拳銃を受けとったクザンは、銃口を安全な方向に向け、片手ながらも器用に遊底を引いて具合を確かめた。
 薬室に装填されていた最後の一発が蹴り出され、遊底は後退して固定された。空の弾倉を取り出し、排莢口から覗いて完全に弾が無い事を確認した。
 遊底を戻し、引き金をジワリと引き絞る――
 引き金は最後に僅かな抵抗を示し、さらに引くと、小気味良い感触を指に伝えて撃鉄が落ちた――大丈夫だ、滑らかに作動する。クザンが拳銃を調べている間に、ガンニックはさらに武器を取り出す。
 これもクザンの持っていた武器である、チタニュウム合金製のサバイバルナイフとスローイングダガーだ。いずれも戻って来ないと思っていた物ばかりだったため、クザンは旧友に再会したような笑みを浮かべ、武器を点検した。
 クザンのそんな様子を見て、ワンは最前からの焦りを滲ませて言う。
「感謝せいよ。あの後ガンニックに頼んで、お前さんの落とし物を探し当てるのには、ほとほと苦労したぞぃ」
 だからこの三日間、姿を見せなかったのか――そう得心すると、クザンはふと思い当たった。何故、彼らはここまで親切にしてくれるのだ? 何故ワンは焦っているのだ?
 疑念を口にしようとしたが、それよりも早く誰かが部屋のドアをノックした。
 ノックした人物は答えを聞くよりも速く、扉をくぐるやいなや開口一番、こう言った。
「すみません、ガンニック君いますか?」
 甲高い声でそう宣言したのは、二メートル近くある灰色の肌をした長身の青年だった。
「おう、ジョシュ坊。ちゃんと連れて来てくれたな、感謝するぜ!」
 ガンニックが喝采すると、ジョシュと呼ばれた青年は冷静に応じる。
「ええ、これで人数は揃いましたね。後は――」
 ジョシュはなおも言葉をつむいだが、クザンの目は彼が連れて来たもう一人の男に釘付けになった。
 騎士である。
 黒髪が無造作に後ろで結ばれ、浅黒い肌に彫りの浅い顔立ちは、日系アメリカ人であるクザンとひどく似通っているが、着込んでいるのが映画やアニメでしかお目にかかったことのない、中世の騎士が着る白銀の甲冑であった。
 甲冑はプレートメイルと呼ばれるゴツい代物にもかかわらず、部屋に足を踏み入れた騎士の動作は、軽快の一言に尽きた。
 騎士がクザンの眼差しに気付く。
 二人の視線が絡み合った瞬間、剣も銃も用いず、互いの力量を推し測り合う……いつの間にかガンニック達は口をつぐみ、部屋は重苦しい沈黙に支配された。
 当時者である騎士とクザンは互いに目を逸らさず、市井の人間であるガンニックとジョシュは気が気でない様子で二人を見つめている。
 ワンは灰色の眉毛の奥で、この場がどういう事態に発展するかと、興味深く目を光らせていた。
 ジリジリと時間が過ぎて行き――
「お初目にかかる、私はヴァレオン・トーゴーと申す」
「トーマス・クザンだ。こんなナリで言うのもなんだが、よろしく」
 軽く頭を下げたヴァレオンに、クザンは横になったまま応じた。 二人の挨拶が穏やかな物に終始たことに、ガンニックとジョシュは大袈裟とも言える程、安堵の表情を浮かべる。
 ワンはやれやれと言わんばかりに首を横に振ると、こう切り出した。
「よし、これで役者は揃った訳じゃな」
「――察するに、アンナの身になにか有ったらしいな」
 クザンが予想を口にすると、ガンニックが応じた。
「な、なんで分かったん――い、いや、今そんな事はどうでも良い!
 旦那のおっしゃる通り、アンナ嬢が“ヒトケモノ”に拐われちまったんだよ!」
 慌てまくし立てるガンニックだが、クザンはそれを遮った。バツの悪い表情で付け加える。
「ちょっと待て、俺はアンナに借りがある。今すぐ返しに行きたいのは山々だが、この様じゃ大したことは出来ないぞ?」
 確かにクザンの状態は酷い。頑張れば立ち歩くことは出来るだろうが、修羅場に挑んで使い物になるとはお世辞にも言い難い。
 だがそんなクザンを安心させるかのように、ワンが穏やかな口調で話した。
「大丈夫じゃ、ワシに任せなさい」
「は?」
 おもむろにベッドへにじり寄ったワンに、クザンが言えたのはそこまでだった。突然ワンが、クザンの胸――正確に言えば肋骨の隙間を――すり抜け、横隔膜を指で刺突したためだ。
「ッ――!?!?」
 クザンの顔が、驚きと苦痛に歪んだ。
 かつて味わったことの無い、猛烈な痛みに晒され、堪えきれず悲鳴を上げようとしたが――
「がっ……あ――く……ぁっ……!?」
 あまりの痛みに、呼吸が出来ない。肺が硬直し、喉が塞がり悲鳴を上げることも敵わない。全身を駆け巡る激痛に、ただ喘ぎ、ベッドの上でもがく――流れ出る汗を飛ばし、背を限界まで反らせて苦しむ。
 遂には痙攣が起こり、四肢が棒のように突っ張る。その弾みで、左腕を覆っていたギプスが砕けた。折れたはずの腕が――動かせないはずの手が、シーツを掴んでガタガタと震えた。
 そして――
「――はあぁっ!」
 今まで硬直していた肺が伸縮し、痛みに塞がっていた喉が空気を求めて鳴った。
「はぁっはぁっはぁっ……」
 必死に空気を貪り喘ぐクザンを見下ろし、ワンは歓声をあげた。
「おお、やはり成功したな。ワシの見込んだ通りじゃわ!」
 未だ呼吸を整えるべく荒い呼吸をするクザンが、半ば怒り、半ば殺意を交えてワンを睨み付ける。
「ワンさん、今のは――」
「彼の経孔を突いて“マナ”を活性化させたのだな。私の村の医者は針を用いるが、素手でそれを行うとは……」
 好奇心を刺激され、ジョシュは思わず疑問を口にしてしまったが答えを出したのは、驚きを隠し切れないヴァレオンであった。
 これを聞いたワンは睨み付けてくるクザンを無視し、より詳しい説明をジョシュに行った。
「左様。ワシはこやつの経孔を突いて、特殊な呼吸法に切り替えたんじゃよ。こうすることで、より氣を練り易くすることができる。出来ればこんなセコいことせずに、ちゃんとした氣の練りかたから教えてやりたいところじゃが、なにぶん時間が惜しい。それに、こやつは自力で“内養功”を行いおったわ、省いても問題なかろう」
「この、クソ爺……」
 飄々と笑いながら答えるワンに毒づきつつ、呼吸が落ち着いたクザンはベッドから上半身を起こす。折れていた左腕はそれが嘘であったかのように、滑らかに動く。
 いや、今まで以上だ。尻を視点に直角に回転し、ベッドから軽快に“飛び出した”――
 日常の何気ない動作だったが、増加した力はクザンの予想を越えて、文字通り体が飛び出してしまった。
 一瞬驚いたクザンだったが、床に足が着く前には既にバランスをとり、猫のように音も無く着地した。
(体が軽い――)
 ほんの僅かな動作で自己の状態を推し量り、こう結論を下した。
 絶好調だ……今までに体感したことが無い程。
 仁王立ちになって拳を握りしめ具合を確かめていたが、ふと他の四人に目を向けると、なにやら微妙な空気が漂っていることに気付く。
 四人はそれぞれ二通りの態度を取っていた。
 ワンとヴァレオンは苦虫を口いっぱいに噛み潰したような顔付きで、露骨にクザンを視界に納めることを避けていた。
 またガンニックとジョシュは気まずい様子で、出来る限りクザンを見ないようにしていた。
 この微妙な様子を、クザンは問わずにいられなかった。
「……ど、どうしたんだ?」
 恐る恐る皆に聞くクザン。
 これも皆一様に答えづらそうにしていたが、ついにワンが堪えきれずに喚いた。
「えぇい! みっともないモノを人前でプラプラさせおって、さっさと隠さんかっ!」
 クザンは体を見下ろすと気付いた。
 所々に巻かれている包帯と絆創膏を除けば、彼はすっ裸だったのだ」


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