『Passage of StrayDog』――第一章『Stray Dog』

小説top / Passage Of Straydog / 第一章表紙 / 1 / 2 / 3 / 4 / 5 / 6 / 7 / 8 / 9 /

第5話


「――で、ここがその貧民窟という訳か」
 様々なガラクタが積み上げられた通路を進みつつ、先頭を行くジョシュにクザンは言う。
 ランタンを手に、すいすい先を行くジョシュは振り返ることなく応じる。
「はい、元は貧民街でも、特に働くことが出来ない者や日の下を歩くことが出来ない者が暮らしていた所なんですが……ここはマナの流れが淀み、いつの間にか空間に揺らぎを生み出すまでになりました」
 説明をまじえて進むジョシュの後ろには、ワン、ガンニック、クザン、ヴァレオンといった順番で通路を進む。
 一行は今、貧民街の地下にある“貧民窟”を目指して進んでいるのだ。
「……今さら聞くのもなんだが、何故アンナがこの貧民窟に囚われていると分かったんだ?」
 さらに疑問を口にするクザンに、今度はガンニックが自信たっぷりに答えた。
「旦那、あっしらベガーギルドの情報網と貧民街の住人の結束力を甘くみてもらっちゃ困りますぜ。知りたいことなら、貴族のエラいさんが今朝、何本鼻毛を抜いたかまで調べることができまさぁ! ……ともあれ、アンナ嬢のことなんだけど、道で客をとってたらこの辺りじゃ見かけねぇ奴が買おうとしたのをダチが見かけたんだ。そいつはエレぇ羽振りのよろしい貴族さんらしいんだけど、宿にも娼館にも行かねぇで、どういう訳かここに入って行っちまったんだと。アンナ嬢もこんな所に立ち入る訳が無いんだが、どうもその……尋常じゃ無かった様子らしい」
 次第に萎んで行く口調を一旦止め、なんとも腑に落ちないといった顔付きでうわ言のように続ける。
「まるで熱病にかかっちまったみてぇに、フラフラその貴族の後に、着いて行っちまったって……俺ぁ魔法のことなんざ皆目検討もつかねぇがよ、きっと魔法でも使われちまったんだよ……そうじゃなきゃ、アンナ嬢が……あの賢いアンナ嬢が、こんなヤベぇ所に来るわけねぇんだよ……」
 彼の胸中に渦巻く感情は、不安か恐怖か悔恨か憤怒か――それとも自らが助けに行けぬ歯痒さか。
 彼やジョシュで助けに行けるような所なら、こうやってクザン達に同行を求めたりはしない……ガンニックは、それ以上言葉にならない様子で、顔付きを強張らせて沈黙した。
 もう充分だ……
 クザンは三人の付き合いの長さなど知るよしもないが、そうとう深いものなのだろう……“カンパニー”の訓練施設で苦楽を共にして以来の付き合いである、地球に居る友人しか唯一親しい人間関係がないクザンにとって、彼らの絆はどこか――そう、心地良いものに思えた。
 こんな感情を抱くことも無くなって久しいクザンには、他に適当な言葉で言い現すことができなかった。ならば……一宿一飯の借りを返すためにも、彼らのために俺は腕を振るおう――
 そう思ったクザンは、デザートケープの下で自らの得物を握りしめ、粛々と進み続けた。
 しばらく一行は無言のまま通路を進み続けると、やがて古びた大きな扉が一つだけある部屋へとたどり着いた。
「皆さん――」
 そう言って先頭のジョシュは立ち止まると、振り返って全員の顔を見渡した。
「この先にある扉を潜れば、そこから急激にマナが濃くなります。そして中は“ヒトケモノ”――人であることを見失った人達の、巣窟となっています。ここまで出会わなかったのは幸運と言わざるをえませんが、それもここまででしょう……」
 危険な場所に赴くせいか、努めて冷静さを保とうとしているように感じられる表情で、ジョシュはここからの目的を説明する。
「貧民窟は扉を潜る度に、その行き先を変化させます。前に居た部屋に引き返そうとしても、一度扉を閉めてしまえば、その部屋にたどり着くのは手間がかかるでしょう。そのため扉の閉める時は、必ず全員が部屋を出てからお願いしますね。――ワンさん、これを渡しておきます」
「ほ?」
 ジョシュはコートの懐から、フチがボロボロになった羊皮紙の束を差し出した。
「……これは見取り図じゃな? なるほど、どの扉を潜ればどこに出れるかまで、書かれておるのう」
「ええ、ここがヒトケモノで溢れる前に、大学の調査隊が入ったことがあるんです。ただ……この地図は一部分だけしか描かれていません、途中までしか調査できなかったんです。深部ではくれぐれも迷わないようにしてください」
「うむ、心得た」
 それからジョシュはワンの背後に佇むクザンとヴァレオンに目をやり、こう告げる。
「貧民窟は姿を変えるといっても、その階の中だけでループするので、もし迷ったら上を目指してください。あまり深くなければ、いつかここに出てくるででしょう。……僕は確かにアンナ君のことはとても大切だけど、皆さんが無事に生きて帰ってくることをなによりも望んでいます。必ず帰ってきてください」
 この言葉を聞いたクザンとヴァレオンは、それぞれ応じた。
「ああ」
「今日こそ、ノヴァラが剣の冴えを見せてやろう」
 短く頷くクザンとヴァレオン。そんな二人の様子から、準備万端と踏んだワンは散歩に出かけるような軽い調子で声をかけた。
「よぅし、行くとするかい」
 ワンがゴツい造りの扉に手を添え、扉を引こうとしたが開かない。押し開ける物か? 一声唸って、押してみたが、開かない。
「……ふむ、鍵がかかっておるようじゃ」
「ご老体、私に任せてもらおう」
 そう言って進み出たのはヴァレオンである。
 鎧が擦れる音に混じり、パサリとなにかが落ちる音がした。次の瞬間――
(これは、血の匂い……?)
 ヴァレオンが抱えていた包みが解かれたのと同時に、微かながらも部屋に血生臭い香りが漂い、クザンの鼻腔を刺激した。
 そしてヴァレオンは、刀身を封帯でがんじからめにされた剣の柄に手をかけると、スッと抜き放つ。さらに血臭が強くなる――
 ヴァレオンが手にした弦月の如く反りを持つ、片刃の長剣を目にしたクザンは、思わず声をあげた。
「サムライブレード!?」
 白銀の鎧をまとった騎士が持っていたのは、サーベルでもスピアでも無い――はるか昔、地球は極東の島国が大陸からの技術を学び、兵器でありながら芸術品の領域にまで磨き上げられた一品――刀だった。
 刀の拵えは江戸時代によく見られた“打刀”とは違い、戦国時代以前の武将が佩(は)いた、反りが深く刀身の長い“太刀”であった。
 ヴァレオンは太刀を手にしばらく黙然としていたが、やがて変化が生じた。
 それはヴァレオンにではない。部屋に生じた。
 血臭立ち込める無風だったはずの地下室に、はっきりと大気が流れ出したのだ。
「これは……!」
 クザンが声を漏らした時には室内の風は渦巻き、ヴァレオンが手にした太刀に収束されつつあった。
 自然に生じた風ではない。ファルネースを構築する、不可視の存在――マナを操作して産まれた魔法の風だ。
 体前に構えられた太刀に絡み付く風は、さらに勢いを増し――カッ! とヴァレオンが目を見開くと、拝み打ちに太刀を振う。
 暴風をまとった刃は、堅固に閉ざされた扉を紙細工のように吹き飛ばし、ぽっかりと穴を開けた。
「よし、行くぞ」
「大したものじゃな」
 抜き身の太刀をひっさげ、貧民窟に足を踏み入れるヴァレオンと、感嘆の声を漏らして続くワン。
 今の現象をしばらく脳内で反芻していたクザンだったが、こんなことをしている場合ではないと思い至り、足早に穴へと姿を消した。
 そんな三人の姿が影に消え、しばらくすると、ガンニックが口を開いた。
「……ああ言ったモンだが、やっぱ心配だなぁ」
 これを聞いたジョシュは、瓶底のような眼鏡を光らせ、大袈裟に驚いた様子で返す。
「おや珍しい、あの太平楽のガンニック君がここまで来て心配とは!? でも、まぁ……気持ちは分からないでもないですけどね」
 眼鏡の位置を直しながら、ジョシュはさらに続ける。
「アンナ君はもう、手遅れかもしれない……それでも、僕達は彼女を助けるんだ。これからも、今まで通りに」
「ああ、そうだな……俺達はあの人達みたく戦うことは出来ねぇが、俺達には俺達にしか出来ねぇことがあるんだ。ジョシュ坊よ、皆が無事に帰って来たら、取って置きのを開けようぜ」
 ガンニックはニヤリと笑みを浮かべ、ジョッキを傾ける仕草をした。
 ジョシュは苦笑を浮かべつつ、内心はともかく、言葉では友達をやんわりとたしなめた。
「ガンニック君、ほんとそればっかりだね? もっとこう、気の効いた迎え方は思いつかないの?」
 ガンニックも苦笑を浮かべ、達観した様子で答える。
「俺もそう思うんだがな、やっぱ俺達ゃどんちゃん騒ぎをするのが、性に合ってる気がするぜ」
「……まったくだね」
 やはりジョシュは同意するしかなかった。


←back  next→
↑NOVEL TOP
↑PAGE TOP

inserted by FC2 system